幻 海

-孤高の戦士-

 この人は「戦士」だった。
 常に何かと戦い続けていて、決して戦場から逃げ出そうとせず、負けることもなかった人だった。
 「勝つ」ことではなく、「逃げない」こと「負けない」ことにこだわり続けた人だった。
 幻海師範は幽助に、「人は自分の気分次第で壊せるものをそれぞれ持ってる」と言ったけれど、幻海師範にも、何かを壊したくて仕方なくなったことってあったのかしらね。
 戸愚呂・弟が人間であることをやめても、幻海師範は人間であることをやめなかった。
 幻海師範が一番、大切にしていたものって、なんだろう、って思うことがある。
 あれだけ愛していた戸愚呂よりも、まだ大切にしていたものが、幻海師範にはあって……だからこそ、戸愚呂についていけなかったんだと思うのよ。
 妖怪のいいところ悪いところ、人間のいいところ悪いところ……全部、きちんと見据えて、人間であること、女であること、戦士であることをあるがままに受け止めて……流れに逆らわずに生きていた人だった。


 幻海師範は、自分にも他人にも厳しいが、特に幽助には厳しかった。
 暗黒武術会の決勝戦で、「これがお前の首つっこんだ世界なんだよ。幽助。力のないもんは何をされてもしかたがないのさ」と、幻海師範は幽助に言った。
 幽助が首つっこんだ世界は、幽助が望んで首をつっこんだわけじゃない。はっきりいって、行きがかりでそうなっただけだった。けれど、最初こそ行きがかりだったけれど、結局のところ幽助はみずからの意志でそこにとどまっている。
 そして、みずからの意志でとどまる以上は、それ相応の覚悟をしろ。この世界のルールから、おまえだけ逃げられると思ったら、大間違いだぞ。と、幻海師範は幽助に言いたかったんじゃないかと思う。
 幽助の逃げ道をわざわざふさぐのは、本当は逃げ道なんかどこにもないから。自分の力で活路を切り開かなければ、幽助はどこにも行けないから。
 あの時、幻海師範は大きな賭けに出たんだと思う。霊光玉を継承するのも、まだ早すぎるくらいだった幽助に、無理をおしてそれを託したように、この試練も乗り切れるかどうかはわからないけれど、それでも賭けるしかなかったんだろう。
 こういう幻海師範の幽助をあまやかさないシーンはいろいろあって、月人くんと蔵馬がゲームをしている時も、蔵馬が絶対に話さないだろう真実を、幻海師範が幽助に暴露したのは、蔵馬が一人で泥をかぶるのをよしとしなかったせいじゃないかと思う。「本当は皆がかぶるべき泥を、蔵馬が一人でかぶっていることを知っておかなければならないよ」という幻海師範の教育だったんじゃないかと思う。
 幻海師範は幽助を突き落とすようなマネをするけれど、そういう時って、かつて闇に堕ちたままはい上がってこれなかった戸愚呂の、二の舞だけは踏んでくれるなと……絶対にはい上がってきなよと……祈るような気持ちで、幽助を見守ってるんじゃないかな。
 幽助と同じくらい、もしかしたらそれ以上に、幻海師範はつらいと思うんだよね。だけど、幽助にも自分にも、逃げることを認めない。
 それは、自分も幽助も、逃げたところで平穏な生活を得られるような人種ではないと、わかってるせいなんじゃないかと思う。逃げて、幸せになれるのなら、逃げてもいいだろう。だけど、自分たちはそういうふうには生まれついていないのだと……。
 厳しいけどさ……それが幽助と幻海師範にとっての現実なんだよね……うーん。


 私はね、霊界で、冥獄界への道を歩く戸愚呂を見送る幻海師範の姿がとっても好き。作中でほとんど描かれなかった幻海師範の女の部分が、すごくよく出ていると思うから。
 さんざん勝手やられて、50年もほったらかしにされて、あげくに殺し合いまでやらされた男を、「本当に…バカなんだから、まったく」って台詞だけで、許してしまったってあたりがね……すごくいいよね……。「しかたないよ、あれはバカなんだから」で問題が全部、片づいてしまうという、ふところの深さがなんともいえない(螢子ちゃんもこれで幽助のおこす問題を片づけちゃってるよな……)。
 すごく重いものを背負いながら、それを周囲にまったく感じさせない淡々としたところといい、幻海師範て本当にいい女だと思う。「その姿、今のおまえなら…惚れてたかもな」なんて、あまいぞ、死々若。若くなくったって、幻海師範は惚れ惚れするようないい女なんだから。
 それにしても、なんかね。幻海師範、あんだけいい女なのに、男運に恵まれてないよね。
 それとも、戸愚呂や幽助みたいな、一生、面倒かけられそうなタイプの男が好みなのかしらね。


 戸愚呂が妖怪に転生してしまった時、幻海師範はそれはそれは怒って悲しんで苦しんで……そして、戸愚呂の決意をくつがえすことができない自分の無力さに憤ったんじゃないかと思う。
 一番、近くにあって、いつまでもそばにいてくれると信じていた存在に、とんでもないやり方で裏切られ、突き放され、何を言っても聞き入れてもらえなかったってのは、ものすごい裏切りだけれど、それにはそれだけの理由があって、戸愚呂は戸愚呂で、闇の底で苦しみもがいているのに、自分にはそこからひきずり出してあげる力がない。
 ふたりで力をあわせれば、何もこわくない、なんて思っていても、いざとなったら、それも単なるあまい幻想で、何をどう努力しても、打開できない状況ってのは存在するものだけれど、それを認めてすべてをあきらめるってのは、なかなかできない。
 あきらめることも許すこともむずかしく、ふたりは必然的に袂をわかってしまったけれど、それでも想いが消えてなくなったわけではなくって……やっぱり幻海師範は未練たらたらだったんじゃないかなって思う。
 だけど、幻海師範にはどうしても譲れない信念があったんだろう。何があっても、たとえ相手が戸愚呂であろうとも、まげられないものがあったんだろう。
 幻海師範は、戸愚呂の間違いを是認することも、戸愚呂と一緒になって自分も道を踏み外すこともできなかった。そこまで自分を捨てて、戸愚呂についてゆくことができなかった。
 それはそうだろう。それができたら、幻海師範は幻海師範じゃなくなる。
 だいたい、戸愚呂もそんなふうにして幻海師範がついてきたら、余計、苦しんだだろうな。
 だって、幻海師範がついてきちゃったら、もう本当に戸愚呂はにっちもさっちもいかなくなっちゃうよ、きっと。


 幻海師範は、幽助に「壊したくなったら、その前にここに来な。まず、あたしの命をくれてやる」って、すっごく軽く言っちゃってたけれど、あれってホントのホンキだったんだろうな、と思う。幽助に命かけてるよ、幻海師範は。
 幻海師範にとっての幽助ってのは、ある意味、戸愚呂よりも大切な存在だったんじゃないかな。
 自分の手で一から磨き上げてきた、大切な大切な掌中の玉。
 だけど、それだけじゃない。幽助は幻海師範の期待を超えたところで、どんどん輝きを増していく。師を超えることが弟子の仕事であるとしたら、幽助は最高の弟子だよね。
 あの冷静な幻海師範でも、幽助を育てていて、血が騒ぐ部分てのがあったと思う。幽助ってのは不思議に、「武」に生きる者たちの気持ちをかきたてるところがあるから、その部分で幻海師範にも触発されるものがあったはず。
 長いこと生きてきて、50年も戸愚呂のことをひきずってきて……それでようやく出会ったたった一人の継承者。幻海師範は幽助に、霊光玉を譲っただけではなく、自分の生き様と死に様を見せることによって、その「生」をも譲り渡したかったんだと思う。失われてしまった戸愚呂への想いを、幽助を育てることによって昇華させたかったんだと思う。
 そして、幽助は結果的に戸愚呂を超えた。
 幻海師範はそのために幽助を鍛えたわけじゃないけれど、戸愚呂の魂を本当の意味で解放してあげられたのは、幽助だけだった。
 自分の弟子が自分の恋人を殺してしまったってのは、表面的にはものすごい悲劇だけれど、幻海師範は悲しいと同時にうれしかっただろうな、と思う。
 多少なりとも、自分が力を貸したことで、戸愚呂が救えたのなら……何もできずにただ遠くから戸愚呂のことを想っているよりは数倍マシな状況だから。
 まあ、そういう深い問題とは無関係に、単純に幽助か好きだったんだろうけどね。


 時々、幻海師範と幽助ってなんかすっごく似てたよね。精神的な双子って感じの時があった。幽助を円熟させると幻海師範になるのかな……うーん。
 妖怪も人間も関係なく、ただ気に入るか気に入らないかで、人物を区別し、妖怪が人間界で暮らしていくための場所を遺して、静かに逝ってしまった幻海師範は、人間界と魔界を結ぶ、最初の架け橋になった人なのかもしれない。

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