-永遠の殉教者-

 私は樹さんが好きだ。愛しちゃってるって言ってもいいぐらいだと思う。
 最初はまったくそういう自覚がなくってねぇ……仙水が死んで、樹さんがおこもりしちゃって、それがもう気に入らなくって、なんかすっごく怒ってて、どうして私は怒ってるんだろう、ってつきつめていったら、実は私は樹さんを愛しちゃってて、その樹さんがああいう運命をたどったことに怒ってるんだってことに気がついた。いや、この結論に達した時はビックリしたわ。普通は、何も考えなくってもそれに気づくのに、考えて考えて、ようやくわかるなんてねぇ……初めてだわよ。
 樹さんは幽遊の中にあって、独特のポジションを持ってる人。
 樹さんてのは、どこまでも仙水あっての樹さんなんだと思う。もう、仙水がいないと、この人はこのマンガのどこにも存在できない。
 この人は、仙水のこと(仙水が何をしたか、それを自分がどう感じたか、自分が仙水のために何をしたか)しか語らないし、仙水のことしか見てないし、仙水の声しか聞いてないし、仙水のことしか考えてない。仙水という媒介を通してしか自分を表現できないし、仙水という要素なしでは存在することすらできなくなっちゃってる人だと思う。
 あまりにも極端であまりにも一途……だから、哀れを通り越していっそ愛しい。
 そして、樹さんを愛してるからこそ、仙水に腹が立つ(笑)。
 ほんっとにもう、あの時の幽助じゃないけど「どんな手、使ってでも生き返って、樹さんを幸せにしろ!」と、仙水の胸ぐらつかんでガンガンわめきたいくらいだよ(こんなこと考えてんのは私だけか?)。
 樹さんが仙水に注ぎ込んだ愛に、出し惜しみはなかった。出し惜しむどころか、生きるためのエネルギーをすべてしぼりつくして、仙水を愛した。結果、樹さんはもう、仙水ぬきで生きていく力がない。たとえ、ぬけがらであっても、仙水は樹さんのそばに存在していなければならない(ああ、うっとうしい)。
 仙水がああいう形で死を迎えた時、樹さんはホッとしたんじゃないかと、私は思う。
 仙水に死んで欲しくなかったのは本当だろうけれど、「ああ、やっと終わった……」って安堵感も絶対に感じていたと思うの(まあ、仙水も「やっと死ねる」って顔して死んでいきましたけど)。
 死に向かって疾走する仙水のそばにいるってのは、精神的にかなりしんどかっただろうと思うので(本人、自覚はなかっただろうが)。


 樹さんは、「忍」と「ナル」以外の人格を十把ひとからげならぬ5人格ひとからげで「仙水」と呼んでいたんじゃないか、という推測を聞いたことがあって、それってかなりありえる話だと思った。
 樹さんは、「「忍」の次に「ナル」が好きだった」とか言っていたけど、正確には「「忍」と「ナル」以外は好きじゃない」と言うべきで、「忍」と「ナル」以外は結構、どうでもいい扱い(おそらくは慇懃無礼な扱い)をしてたんじゃないかなあ、って思うのね。どうでもいい人は、ちゃんとどうでもいい扱いする人だから(大笑)。
 「忍」は当然のこととして、なぜに「ナル」がお気に入りだったのかと言えば、やっぱり、ある意味で樹さんにとっての理想像が「ナル」だったからじゃないかと思う。
 何があっても樹さんにすがりつきそうにもない「忍」を、樹さんは愛していたけれど、それとは反対側で、「忍」にすがりついて欲しかったんだと思う。しかし、やっぱり「忍」はそんなことしてくれないので、「忍」の代用品として「ナル」を愛していたんだと思う。
 もしかしたら、樹さんの前にしか現れない(要するに完全な樹さんの独占物になってるんだな)、樹さんにだけあまえてすがりついて、泣きついて、やさしい言葉をかければちゃんと素直に喜んでくれる「ナル」がいたからこそ、樹さんはあそこまで仙水のそばにい続けることができたのかもしれない。
 普通だったら、疲れ果ててるんじゃないかな……ああいう関係を10年以上も続けていたら(だけど、樹さんて見かけによらずタフなとこありそうだからな……)。
 最後に樹さんは、仙水が「忍」でいる時、苦痛を表に出すことをしてもらえなかったのが「少しくやしかった」と言っているけど、それって「少し」なんてもんじゃなくって、実はめっちゃくちゃくやしかったんじゃないかと、私は思っている。それこそ、「嘘でもいいから、痛い、って言ってくれ」と懇願したいくらい、「忍」に弱さをさらけだして欲しかったんだと思う。
 樹さんてのは仙水にまけずおとらずの、二律背反な人で、まっさらでけがれのない仙水を愛し、そのままでいて欲しいと願いながらも、汚れていくさまが見たくて見たくてしかたないし、誰にも(もちろん自分にも)手の届かない天上人でいて欲しいと思いながらも、それを地上にひきずり落として踏みつけにしてみたいという欲求にかられているし、原型をとどめないほど仙水をぶち壊しにしたいんだけど、できることならガラスびんに閉じ込めちゃって、誰にも何にも仙水を触れさせたくないんじゃないかと思う。
 仙水のそばにいなければ生きていけないけれど、仙水のそばにいるのは死ぬほど苦しい。仙水にずっと生きていて欲しいけれど、はやく苦しみから開放されたくて、仙水が死ぬのを待ち焦がれてる。終わりたくないけれど、一刻もはやく決着をつけたい。
 生きて欲しい、死んで欲しい。壊したい、壊せない。昇天して欲しい、堕落して欲しい。強くなって欲しい、弱くなってすがりついて欲しい。傷つかないで欲しい、傷つけたい。変わらないで欲しい、変わる姿をみつめていたい。すべてを手に入れたい、手に入るようなちゃちい存在でいて欲しくない……樹さんが仙水に求めるものは、果てのない矛盾。
 しかし、その徹底した二律背反を、仙水は具現してしまっている。
 これはもう最悪。仙水と樹さんてのは、相性が合いすぎるから、最悪の相性なんだと私は思う。
 ハマりすぎてて、足がぬけなくて、泥沼の中で二人っきりでもがいてる。他に助けは求めないし、求めることさえしない。樹さんは、仙水が仙水以外のものをみつめることを忌避し、仙水は助けの求めかたを知らない。ああ、やだやだ、こんな連中。
 結局、仙水がどうなろうと、樹さんはかまわないし、気に入らない。
 いっそのこと、ぬけがらになってしまってくれて、喜ばしいくらいかもしれない。けれど、やっぱり失いたくはないんだろうな……。


 だけど、樹さんは本当にそれで満足していたんだろうか?
 動かない時間の中で、何もない空間で、動かない仙水の肉体を抱いて、それで本当に満足できるんだろうか?
 ああいう形でも仙水を独占できたのだから、満足なんだろうか?
 自分がいない場所で、仙水が生き続けていくことが、樹さんには許せなかった。
 樹さんは、本当は仙水を独占したいのだけれど、仙水が誰かに独占できるような……そんなちっぽけな存在では、困るのだ。
 目の前にある仙水を偶像化し、崇めながらも、どこまでも人間的で弱い仙水が、樹さんは欲しい。こわいぞ、はっきり言って。
 樹さんの不幸の元凶は、樹さんが樹さんであることに、どこまでも忠実であり続け、果てのない矛盾のどれも否定せずに生き続けた、ということなのかもしれない。


 仙水は樹さんを幸せにしてくれなかった。そして、樹さんも仙水を幸せにしてやれなかった。
 あれだけの深い愛は、誰も幸せにできなかった。そういう点で、樹さんの愛はどこまでも「不毛」である(男同士だから不毛なんではない。一応、断っとくけど)。
 不毛な愛は哀しい。何も生み出せなかった愛は哀しい。
 仙水は最後の瞬間、ただ魔界の空をみつめていた。そばに樹さんがいたにもかかわらずだ!(せめて、コエンマさまか幽助をみつめていたんなら、許せるかもしれない)
 最後の最後くらい、樹さんを見て欲しかった。せめて、一言くらい声をかけて欲しかった……仙水のバカヤロー! それっくらいのごほうびを樹さんにくれたっていいじゃないか! そんなだから、樹さんは仙水を抱いて亜空間にこもらなきゃなかった。仙水は終わりにできても、樹さんは終わりにできなかった。
 そして、仙水が死んでくれたおかげで、樹さんはようやく、心おきなく「忍」に向かって、本音で愚痴ることができたわけだ……ああ、不毛。
 なんかさあ、樹さんてのことを考えてると、最後にはどうやっても「仙水のバカヤロー! 責任とれ!」になっちゃうのよね。私ってば。
 だってさあ。樹さんを幸せにできる可能性を持ってたのは、仙水ひとりっきりなのよ、くやしいことに。
 仙水と出会ったことが、樹さんにとっての幸福であったのか不幸であったのかは、誰にもわからないこと。はっきりしているのは、樹さんは「純愛」の人だったってこと。


 仙水が神さまならば、樹さんは殉教者である。
 でも、仙水は神さまじゃない。それは樹さんにもよくわかってる(多分、仙水が神のごとき人だったら、樹さんは好きにならなかっただろう)。
 だけど、仙水の手にかかって死ぬはずだったその日から、樹さんは仙水だけを「糧」として生き続けているのだから……やっぱり仙水という存在そのものが、あの人にとっては世界のすべてだったんだろう。
 仙水が死ぬことによって、樹さんは永遠に仙水を失ったのか、それとも永遠に手に入れたのか……。
 いずれにしても、最後の樹さんはうれしそうな顔をしてなかった。
 仙水の死と引き替えに樹さんが得たものは、仙水のぬけがらと哀しい平安だけだったのかもしれない。
 私はねぇ……いつか、樹さんにあそこから出てきて欲しいよ。比喩でもおおげさでもなく、仙水は樹さんのすべてだったってのはわかるけれど……それでも出てきて、生き直してみて欲しいよ……多分、無理だってのはわかってるんだけどさ……。

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