左 京

-美学に生きたギャンブラー-

 左京さんは、「美学」に生きていた人だと思う。
 この人って、自分なりの美学がかなりカッチリとしてあって、それがすべての価値基準で、それが一番大事……というよりは、それ以外はまったく大事じゃない。自分の命も未来も、それこそいつでもドブに捨てる覚悟をしている(というよりも、覚悟するほどのものじゃない、どうでもいいものなんだな、多分)。
 だから、この人ねぇ……嘘つきかもしんないけど、守るつもりで交わした約束はどんなことがあっても守るんじゃないかと思うの。そこらへん、かなり律儀な人のような気がする。たとえばね、賭けで命を賭けてそれで負けちゃったら、ちゃんと自分で自分の始末をつけちゃう。それがさ、ギャンブラーとしてのプライドであり美学だと思うの。
 そして、そのギャンブラーとしての自分が、左京さんにとってはすべてだったんじゃないかな……。


 この人は本当に悪いことたっくさんやってきた人なんだけど、ひとつだけ褒められる点があるとすれば、それは他人にその罪を転嫁したりしないこと。
 仙水が自分がこんなになったのは、人間という存在自体が悪いんだ、とか理屈をつけたがってたけれど、左京さんはごくシンプルに、自分はそういう人間なんだ、と言い切っていた(まあ、そこらへん、仙水よりも病が重い感もある)。
 家族は悪くない。ただ、自分が生まれながらに病んでいたのだと、「だれのせいでもない」と言い切ってしまえる……それは左京さんが精神的に強いからじゃなくって、心底そう思ってるからだろうな、きっと。
 個人的な偏見を持って言わせていただければ、5人兄弟のうち4人が公務員てのは、あんまり普通な家庭ではないと思うけどね(家族全員が公務員の方には申し訳ないけれど)。
 この人は、自分の中に、自分だけの国をつくって、誰も住まわせず、受け入れず、自分だけの法律に従って動いていた。他人に罪を押しつけることも、許しを乞うことも、救いを求めることもしなかった。この人は、どこまでも一人で、ただ、みずからの心の求めるままに突っ走り続けた。
 左京さんはきっと、泥にまみれてる自分を、みっともないとは思わないだろう。そんな姿を笑われても、怒りもしなければ、はずかしいとも思わないだろう。この人は見栄をはらない。見栄をはるってのは、ちゃんと他人の存在を意識してるってことだから……。そういうところからすでに、この人は社会から孤立している。
 だいたい、自分のことを「腐ってる」って言うのは、コワイと思うね。「壊れて」るんなら治るあてもあるだろうけど、「腐ってる」ものは決して「腐ってない」ものにはならないからね……。本当に、どうにもならないって感じの表現でコワイと思う(仙水もそんなこと言ってたから、これは冨樫先生が好きな表現なんだろうな)。


 左京さんにとって、最高にして唯一の楽しみ(というか生きがい)はギャンブルだったという。
 多分、自分の生き死によりも、賭けの勝ち負けの方に執心していたと思う。
 ギャンブルの時だけ熱くなり、ギャンブルだけに生きてきたと、本人も認めているけれど、この人は本当に生まれながらのギャンブラーで、ギャンブルをすることでしか、社会とつながっていることができない人種なんだと思う。
 すっごい冷めてるように見えるけどさ、ギャンブルの時だけ熱くなれたってことは、熱くなりたいからギャンブルをやってたってことで……要するに、やっぱりこの人も熱く生きたかったんじゃないかと思うのよ。そのために命はるってのは、ちょっといっちゃってるけどね。
 この人はもう、本当にどうしようもないと思うし、本人もどうしようもないと思ってるだろうし、どうしようもなくっていいと思ってるだろう。
 それでも、「とうとうここまできたか」とつぶやき、戸愚呂にみずからの過去を淡々と語るその姿には、そういう生き方しかできなかった自分に対する哀れみがにじんでいたから……ただただ暴走してばかりの人でもなかったんだよね。きっと。
 ある意味、純粋な魂を持ち続けて大きくなった人って気もしてるんだけどねぇ……迷惑な人には違いないので、やっぱりイヤかなあ……。
 ところで余談だけど、左京さんて、躯と気があったりするんじゃないかと思ってるんだけど、どうだろう……ひきあわせてみたかったなあ……。

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