CALL


悪夢で目覚めた朝も
孤独に過ごす昼も
眠れない夜も

おれの名前を呼んで欲しい


一、彼者誰時(かわたれどき)

光の中で笑う者
闇の中で嗤う者

 カーテンの隙間からさしこんでくる淡い月光に照らされて、まだ幼さの残る寝顔が白く浮かび上がる。
 音もなく部屋にすべり込んできた影に気づく様子もなく、やすらかな寝息をたてるその少年の横顔には、あの戦いの時に見せる猛々しさなどみじんもなくて……その落差に彼は時折、憤りさえ感じてしまう。
 どちらかだけだったらよかったのだ。
 戦いしか頭にない男であれば、いつでも殺しあう。虫さえも殺せない男であれば、関わりあう価値もない。けれど、この少年には実に自然に二つの顔が同居していて……それが、自分をとまどわせるのだ。
 そんなことを考えながら、飛影はみじろぎもせずそのあどけない寝顔をみつめていたが、ふいに目をふせるとキッと唇をかみしめた。
 なぜだろう。
 こんなただの人間――しかも、また子供だ――にこの自分が振り回されている。
 殺してしまえばいい。こんな不安定要素は、さっさと殺してしまうに限る。
 そんな確信は、いつもみずからの行動によって裏切られる。
 きっと……おれは見てみたいのだ。
 目を離すたびに強くなるこの人間が、どこまで強くなるかを、どのような道を歩むのかを、この目で確かめ、その限界まで強くなったところで、命のやりとりをしてみたいのだ。
 そうだ。今、殺してしまってはもったいない。先の楽しみを今、つぶすことはないのだ。人間の命は短い。こいつがその力のピークを迎えるのはそう遠い未来のことではない。それまで待つなんて……なんでもないこと。
 そう自分を納得させて、薄笑いを浮かべる。
 それでいい。自分はこいつに興味があるわけではない。こいつの力に興味があるたけなのだ。
 こいつを生かしておくことの……それ以外の理由がどこにある?
「起きろ」
 飛影は低くつぶやいた。
 その短い言葉の中に複雑な感情がこめられていることを知る者はいない。なにせ、当の本人でさえ、それに気づくことができなかったのだから……。
 しかし、幽助は起きようとはしなかった。彼がそのような生ぬるいやりかたで起きるわけがないのだ。
 なんとなくむかっときた飛影が殺気を放つ。
 一瞬のうちに蒲団をはねとばし、それを隠れ蓑にして部屋の中央に移動し身構えたあたりはさすがに幽助であったが、その後の台詞がまだねぼけていた。
「ばばあ! いいかげん、寝込みを襲うのはよせって言ってるだろ!」
 よく見ると、その瞳はまだしっかりと閉じられている。立ちながら眠っているとは器用なやつだ。
「おまえは妖気と霊気の区別もつかんのか」
 飛影の不機嫌そうな声がようやく幽助を覚醒させた。
「あれ? 飛影か?」
 幽助が目をこすりながら尋ねてくる。
 こんな時間になんのことわりもなく部屋に現れた者に対する問い掛けにしては、ずいぶんと間が抜けているといえよう。
「幻海にいつも寝込みを襲われているのか、おまえは」
 飛影が憮然として尋ねる。
 幽助は大きく伸びをすると、軽く手足を振った。
「おう、あのばばあときたら、眠っている時でも油断しちゃなんねえとか言って、おれが寝てる時にケリいれてきたりすんだぜ」
「そのわりにはさっぱり成果があがっとらんな。おれにその気があったらおまえは死んでいたぞ」
 その瞳に冷笑を浮かべた飛影を見て、幽助が屈託のない笑みを浮かべる。
「だけど、おめえにその気はなかったろ」
 そんなとんでもない台詞を、なんでもないことのように□にするのだ……こいつは。
「……」
 黙りこんでしまった飛影を見て、幽助がポリポリと頭を掻く。
 理由はわからなかったけれども、飛影の機嫌がいつにもまして悪いことには気づいたのだ。
「で? ……おれの寝込みを襲ってどうするつもりだったんだ? 夜這いでもかけにきたのか?」
「誰がだ!」
 飛影がむきになって怒鳴っている姿は、すねている子供のようで可愛い……などと言ったら、壁のシミになる運命が待っているだけなので、とりあえず黙っていようと幽助は思った。
「ふーん。そりゃ、残念」
 口の端で笑った幽助を、飛影がうわめ使いにみやる。その視線に含まれた殺気を感じて、幽助はあわてて手をばたばたと振った。
「わーっ、悪かった。真面目に話しを聞くから怒るな」
 飛影は不満気に幽助をねめつけたまま、すっとビデオテープをさしだした。
「また、コエンマか」
 幽助が心底うんざりといった調子でうめいたが、飛影はそんな勤労少年の嘆きに同情する気持ちなぞ、ひとかけらも持ち合せてはいなかった。
「さっさと見ろ。すぐに出かけるぞ」
「飛影は内容を知ってんのか?」
「ああ」
「じゃあ、見るまでもねえじゃねえか」
「……おれに説明させるつもりか」
 飛影がボソリとつぶやく。
 コエンマの使いっぱしりをやらされてるたけでも腹が立つのに、任務の解説役までやらされてはたまらない。
 そんな飛影の無言の主張を、幽肋は読み取ったようで、おとなしくビデオをセットすると再生を始めた。
 新しい任務は、どこぞの山奥に巣くっている妖怪集団が人間に悪さをして困るので、退治して欲しいというものだった。敵が一人ならともかく集団なので、念のため飛影と二人で赴いて欲しいということだ。
「蔵馬は一緒じゃねえのか」
「やつには学校があるそうだ」
「蔵馬の学校は心配で、おれのはどうでもいいってか?」
 幽助が頬をふくらませる。
「今さらだな」
 飛影がそっけなく答える。
 それもそうだ、と単純な幽助は素直に相槌をうった。
「それにしても、そんなに急ぎの仕事でもねえようだが、なんでこんな時間に来たんだ?」
 幽助は着替えながら飛影に尋ねた。
 時刻は朝の六時。外はまだ薄闇に包まれている。
「つまらん仕事はさっさと片付けたかった……それだけだ」
 飛影は窓の外に視線を向けたまま、幽助の方を見ようともしない。
 飛影の遠くをみつめるまなざしはどこか寂しげで、いつも幽助を困らせる。
 こんな時、蔵馬だったらなんと声をかけるのだろうか。蔵馬は大人だから、なにか気の利いた言葉の一つでもかけられるだろうに、自分はただ飛影のそんな横顔を見ただけで言葉を失ってしまうのだ。
 そんなことを考えて、幽助はあわてて首を振った。
 自分は自分、蔵馬は蔵馬。そして、飛影は飛影なのだ。そんなことでいちいち悩むなんて、時間の無駄もいいとこだ。
「おっし、行くとするか」
 幽助は着替えを済ませ、みずからをはげますように声をはりあげると、飛影の背中をドンとたたいた。
 飛影は迷惑そうに眉をひそめると、無言のまま窓から外に飛びだした。間を置かず、幽助もそれに続く。
 夜明け直前の街の中を駆け抜けた二つの影に、気づく者はいなかった。

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