王子と大臣の物語


 国王が死んだ――それはずっと以前から予測されていたこと。
 王妃が王子を産み落とした翌日に死んでしまった時、国王はその亡骸を凝視しながらつぶやいた。
「跡取り息子も生まれたことだ。おれがいなくなっても、とりあえず国は潰れんだろう」
 それを聞いた途端に、臣下たちは一様に蒼ざめたものだった。
 なにせ、国王の王妃に対する愛情の深さときたら、異常とも呼べるもので、その最愛の妃を喪った国王がどういう行動に出るかを、正確に予測できる者など一人もいなかったのだ。
 そして、その日から国王は食を断った。周囲の者がどんなに懇願しても、水以外のものを口にしようとはしなかった。だから……その死は国の誰もが予測していたものであったのだ。


 かすかな気配を感じて顔をあげたら蔵馬がいた。
 やっぱりみつけられたか、と思いながら、幽助は抱え込んでいたひざを解放して足を伸ばした。
「さすがに今回ばかりは見つけ出すのが大変でしたよ」
 話しかけながら蔵馬は笑う。
 蔵馬はきっと自分の前では、この世の終わりが来る時だって、こうやって静かに笑っているんだろうなぁ、とか考えながら幽助は笑ったが、それはとても笑顔に見えないほどひきつっていた。
 ここは、城の者もめったに来ない地下の一室。
 国王の寝室に入ることを許されていたのは幽助だけで、その最後を見取ったのも幽助だけだった。だから、部屋からぼうっと出てきた幽助が、通りすがりの者に「親父の部屋に入ってもいいぜ」と声をかけるまで、誰も国王の死に気づくことができなかった。そして、そんなどさくさにまぎれて、幽助は誰にもみつかることなく、ここまで来てしまったのだった。
「たまにはおめぇ以外のヤツが探しに来てもよさそうなもんだけどな」
「今日は城の半分の人手を割いて探していたんですけど、おれ一人で探しても同じだったようです。無駄なことをしました」
 首をすくめてみせた蔵馬をみつめながら、幽助は髪をぐしゃぐしゃとかきまわし、かすかにため息をついた。
「他の連中はどうしてる?」
「あなたの予想通りです」
「…………そっか」
 壁に背をあずけ、疲れ切った表情で天井を見上げた幽助を、蔵馬は痛ましげにみつめた。
 死にゆく姿を幽助だけに見せること――幽助には見せること――を望んだのは国王だった。彼はみずからの生と死のはざまをみせつけることによって、息子になにかを伝えたいと考えたのだろう。それはわかっている……わかってはいるが……一番つらい瞬間を、一人っきりで過ごすことになってしまった幽助のことを考えると、どうにも納得しきれないものがある。
「悪ぃ」
 ふいに幽助がつぶやいた。
「なにがですか?」
「逃げちまったよ、おれ」
「…………」
「親父に怒られるな、こんなんじゃ」
「……おれは怒りませんよ」
「蔵馬」
「おれはあなたを責めませんよ」
 蔵馬はそう言って、今度はにっこりと笑った。
「今、この城内で笑っているのは、きっとおれだけですね」
「……まったくだ」
「あなたが生きている限り、おれはどんな時でも笑ってみせますよ」
 あっさりと言ってのけた蔵馬をみつめ、幽助はふいに唇のはしをつりあげた。
「この世の終わりが来ても?」
「この世の終わりが来ても、あなたが死ぬまでは笑っています」
「おれのために死ぬようなことになっても?」
「あなたのために死ねるのなら、それ以上の死に方はないですね」
「おれに殺されることになっても?」
「その時は事前に言ってください。あなたがわざわざ手をくだすことはありません。おれがその手間を省いてあげますよ」
 すまし顔の蔵馬の答えに、幽助はおもわず吹き出してしまった。
「そりゃ、すげぇな」
 腹を抱えて笑う幽助をみつめながら、それでも蔵馬はすまし顔を崩さない。
「ええ、かなりすごいでしょう?」
「ああ。むちゃくちゃすげぇや」
 笑っている幽助の肩に、そうっと蔵馬の両腕が無言のうちにまわされた。
 その途端、幽助の瞳から涙があふれ出て、蔵馬の長い髪の流れにそって、透明な滴が落ちていった。
「笑いすぎて……涙が出てきちまったぜ」
 そんな言い訳をしながらも、幽助は蔵馬の思いやりに感謝していた。
 こんな暗いところに一人でいると、闇に呑み込まれそうな感じがして怖かった。だけど、誰にも顔を見られたくなかった。そんな自分の気持ちを、どうして蔵馬は知っているんだろう。
「心配しなくていい」
 短くて長い時間が過ぎた後、ふいに幽助がつぶやいた。
「大丈夫だからさ……心配すんな」
「最初から心配なんかしてませんよ」
「うん」
 幽助の頭が肩口で動き、蔵馬はまわした時と同じように、そうっと腕をほどき、自分をまっすぐにみつめている幽助の、ぐしゃぐしゃになった髪を両手で梳いて整えた。
「皆に顔を見せられますね?」
「ああ」
「皆に声をかけてあげられますね?」
「ああ」
 力強くうなずいた幽助の背を、蔵馬の手がポンとたたいた。
「では、行きましょうか」
「そうだな」
 二人は地下室を出て、階段を上り、庭に出た。
 そこには、いつもと変わらない、光と緑にあふれた世界が広がっている。
「蔵馬」
「なんですか?」
「おれはさ……最後まで親父の一番、大事なヤツになれなかったんだな」
「幽助……」
「それがずっと悔しかったんだけどさ……それはそれでいいや」
 幽助はそう言って、陽射しの中で笑った。
「おれが死んだら、親父を見習って断食しそうなヤツもいることだしなっ!」
 そう言い置いて、幽助はピョンと飛び上がり、自室がある五階の窓枠に手をかけ、そのまま城内に入ってしまった。
「たまには階段を使ってあげないと、毎日、掃除をしてくれている連中が泣きますよ」
 蔵馬は苦笑まじりにつぶやくと、前髪をかきあげた。
「あなたが死んだらどうするかだなんて……おれに考えさせないでくださいよ」
 とりあえず今日も幽助は生きている。だから……今日も自分は笑っていよう。幽助がどんなにつらい時でも笑っていよう。幽助が自分を見てくれている限りは笑っていよう。
 そんな決意を新たにして、蔵馬はちゃんと階段を使って、幽助の部屋に向かったのだった。

おわり

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