いつまでも どこまでも


残ったものは 命と夢と相棒
それだけあれば 生きていける


 陣と凍矢は崖の縁に座り、白い彼をけたてながら首縊島を去っていく船をみつめていた。
 あの船には幽助たちが乗っている。
 彼らは自分たちが生まれて初めて得た『親友』と呼んでもよい存在だったから、その別れには今までに感じたことのない複雑な感情をおぼえた。
「幽助たちも帰っちまっただな」
「ああ」
「いいやつらだったな」
「そうだな」
「また、会えるかな」
「縁があればな」
 船をみつめながら、ポツリポツリと短い会話を交わす。
 彼らはきっと、自分たちの心の一部を持っていってしまった。
 自分たちはこれから、ことあるごとに彼らのことを思い出すだろう。
「幽助は……」
 それだけつぶやいて、凍矢が沈黙する。
 陣は瞳でその先を促した。
「『光』を……持っているな」
 淡い笑みとともにこぼれ落ちた凍矢の言葉に、陣が力強くうなずく。
「ああ」
「いくつもの死闘を見てきたが、あんなにきつい思いをさせられたことはなかった。本気で逃げ出したいと思った。見たくないと思った。……だけど……目をそらすことができなかった」
 凍矢はなんの前置きもなしに語り始めたが、陣には凍矢が何の話をしているのかがよくわかった。
 あの暗黒武術会の決勝戦において二人は幽助が起こした風に巻き込まれ、幽助の『哀しみ』に共鳴してしまった。
 凍矢は陣が言葉にしようとはしなかったその時の想いを、口にしてくれただけだから、凍矢の言いたいことが、陣にはよくわかる。
「そして……あの後でおれは考えたんだ」
 凍矢はそう言葉を区切ると、陣を正面からみつめ、今にも泣き出しそうな表情を見せた。
「おれは……おまえを失っても、闘い続けることができるだろうか……」
 凍矢の問い掛けに、陣は困ったように首をかしげたが、すぐににっこりと笑うと、凍矢の前髪をさらりとかきあげた。
「おれがいてもいなくても、おまえは闘わなきゃいけないだよ」
「それはわかっている!」
 凍矢はいらだったように叫んだが、そんな自分の行動が急に恥ずかしくなってしまって、ギュッと唇を噛みしめると、そのままうつむいてしまった。
 自分は、幽助のように立ち上がることなんてできない。
 目の前で陣を失ってしまったら、きっと、その場に崩れ落ちて、二度と立ち上がることもできず、一瞬でも早い死を切望したことだろう。指一本、動かすこともせず、ただ、自分を殺してくれる手を、待ち望んだことだろう。
「凍矢」
 陣がいつにない落ち着いたまなざしで凍矢をみつめる。
「おれがいつも、脳天気なことばっかり考えてるだから、凍矢はおれの分まで、つらいことを考えなきゃなんないんだな」
「そんな……陣は悪くないんだ。おれが情けないだけで」
 陣のいたわるような声音に、凍矢が驚いて顔をあげる。
 陣が責任を感じる必要なんてまったくないのに、そう思わせてしまうようなことを、口にしてしまうなんて……。
「おれも、あの時、幽助の風に巻き込まれて、泣きたいほど哀しくなっただ。だけど、凍矢は泣きたいほど不安になったんだな」
「……」
「大丈夫だよ。先のことなんか考えることねぇだ」
「だけど……」
「おれたちが今、考えなくちゃいけないことは、『光』を手にいれるための方法だ。それ以外のことなんか考えなくていいだ」
「だけど……」
 凍矢はただ、『だけど』を繰り返す。
 まるで、すべての救いを拒むように。
 陣は困りきった表情で凍矢をみつめていたが、ふいにすっくと立ち上がると、海の方に背を向け、崖っぷちで両足を揃えた。
「陣!」
 陣の唐突な行動に驚いて、凍矢がその名を呼ぶ。
 陣は両足を揃えたまま、ピョンと後ろへ飛んだ。
 その足は完全に地面から離れていたが、海に落ちるようなことはなかった。
 当然だ。彼は風という力強い味方を得ているのだから。
「ホラ! おれは崖っぷちから落ちても死なないだよ。だから、どんな崖っぷちに立たされても大丈夫だ」
「陣……それは、ずるいよ」
 凍矢が気がぬけたような声を出す。
 陣は……なぜ、こんなあたりまえのことを言うんだろうか。
「ずるくなんかないだよ」
「陣は大丈夫でも、おれはこんな高いところから落ちたら死ぬんだぞ」
「死なないだよ」
「死ぬに決まってるだろ」
「じゃあ、試してみるだか?」
 陣の言葉が終わるか終わらぬかのうちに、凍矢は右腕をぐいとひっぱられ、バランスを崩し、崖から転げ落ちた。
「うわっ」
 凍矢はおもわず声をあげたが、彼は海面に叩きつけられることなく、一メートルほど落下したところで、ピタリと宙に留まった。
 陣の風が、彼を空中でやさしく捉らえたためである。
「…………」
 あまりといえばあまりのことに、大量の冷や汗をかいている凍矢の前に、陣がひょいと顔を出す。
「ほら、死ななかっただべ?」
 陣のあっけらかんとした言葉に、凍矢は目をぱちくりとさせたが、すぐに我に返ると、顔を真っ赤にして怒りはじめた。
「陣がいなかったら、死んでたじゃないか!」
「だから、今はおれがいるだから、崖っぷちに立っても怖くないだろ?」
「えっ?」
「おれがいるから、死なないだろ?」
「……陣」
「おれがそばにいるから、なにも怖くないだろ?」
 陣の瞳は真剣だった。
 凍矢はしばらくの間、表情を凍りつかせたまま陣を凝視していたが、ふいに口許にかすかな笑みを浮かべると、額をちょこんと陣の胸に押しつけた。
「陣がこんなに口がうまいとは知らなかったぞ」
 すねたような響きを持つその言葉に、陣が照れたように頭をかく。
「そっ……そうだか?」
「すまない。ちょっと弱気になっていたようだ。もう二度とあんなことは言わないから許して欲しい」
 凍矢は顔をあげると、生真面目な面持ちで陣に謝った。
 凍矢は結構な頑固者だけれど、自分の過ちを認めることを厭うようなことはしない。そこらへんの凍矢の実直さが、陣は大好きだ。
「許すも許さないもねぇだ。誰にだって、弱気になることはあるだよ。凍矢は悪くない」
「だが、陣が弱気になったところを、おれは見たことがないぞ」
 凍矢の反問に、陣はニヤリと笑った。
 いつものいたずら好きの子供のような陣とは違う。いくつもの修羅場をくぐりぬけてきた、自信に満ち、力にあふれた戦士としての陣がそこにいる。
「強気だけがおれの取柄だからな」
「それはいえるな。おまえが弱気になったら、この世は終わりだ」
 からかいをふくんだ凍矢の返答に、陣がケラケラと笑う。
「おれが弱気になるのは、おまえと引き離される時ぐらいなもんだ」
「えっ?」
 意味深な台詞をさらりと言ってのけた陣は、凍矢の驚きを気に留める様子も見せず、彼の背中をドンと叩いた。
「頼りにしてるだよ。相棒」
 陣のとびっきりの笑顔と、とびっきりの言葉に凍矢は力強くうなずいた。
「もちろんだ。相棒」
 そうして、二人は陣の風に乗って、首縊島を去った。
 いつまでも、どこまでも二人だけの『光』を求め続けることを、誓いあった後に。

おわり

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