DOUBLE EDGE


 ふとした気配を感じて顔をあげると、そこにいるはずのない人物が目の前に立っていた。
「幽助?」
 おもわずその名を呼ぶと幽助はしゃがみこみ、片ひざをたて剣を胸に抱いて座っているおれの顔をのぞきこんだ。
「ここ、ずいぶんと空気が悪ぃな。それに、こんなもんに囲まれて眠るなんて、気持ち悪くねぇか?」
 妖怪どもの屍の山を指差しながら、軽い調子で問いかける幽助は、あまりにもこの場所に似合わないような気がする。
「おまえ……なぜここにいる」
 ここは骸の移動要塞『百足』の中――幽助が入ってこれるわけがない。
「なぜって……飛影が呼んだからだろ」
「おれがおまえを? いつ?」
「うーん……よくわかんねぇけど、おめぇが呼んでると思ったんだ。だから来てやった」
「……おれは、おまえなんか呼んでいない」
「いーや、絶対に呼んだぜ」
 幽助は自信たっぷりに答えると、おれが抱いている剣に手を伸ばした。
「こんな物騒なもん抱いてると、神経がささくれだっちまうぜ。ここにはおれたちしかいねぇんだから、そこらへんにころがしとけよ」
 そう言って剣をもぎ取ろうとする幽助の手を、おれは乱暴にはねのける。
 こいつは……いったい、何をしに来たんだ?
「飛影?」
 おれににらみつけられて、幽助はきょとんとしている。
「いやだ」
「?」
「これはおれのものだ。おまえなんかに渡さない」
「おれはその剣が欲しいなんて言ってねぇぜ? 物騒だから横に置いとけって言っただけで……」
「それもいやだ」
「なーに、わがままこいてんだよ、てめーは」
 幽助は再びおれから剣を取り上げようとする。
 だからおれは剣をいっそう強く抱きしめた。
 これはおれの身を守るものだ――幽助なんかに渡さない。
「なに、子供みてぇにくだらねぇことにこだわってんだよ」
「くだらなくなんかない! おれはこれだけを信用している!」
「これだけって……じゃあ、おれは信用してねぇって言うのかよ」
「あたりまえだろ! おまえがおれを殺さないという保証がどこにある!」
「!」
 おれが叫んだとたんに、幽助の動きが凍りついた。
 こんな無表情な幽助は……初めて見たような気がする。
「保証なんて……ない」
「…………」
「なんで保証なんてもんが必要なんだよ。おめぇがその剣で刺されて死なねぇって保証もねぇだろ! おれはその剣よりも信用されてねぇのかよ」
「……ああ……」
 おれは目をふせ、うなずいた。
 幽助の顔をこれ以上、見ていたくなかった。
 けれど、それ以外の言葉を幽助に告げることも……できなかった。
「わかった」
 幽助の冷たい声に、おれは目を閉じる。
 そうして、ひたすらに幽助が立ち去ることを待ち望んでいた。
 けれど、幽助が立ち去る気配は感じられず、そのかわりにおれの肩にかかる重さを感じた。
 おそるおそる目を開くと、幽助の髪がそこにある。
「ゆっ……幽助?」
 おれの声は、おもいっきりうわずっていたかもしれない。
 幽助がいつのまにか、剣を間にはさんだまま、おれの肩をしっかりと抱きしめている。
「この馬鹿っ! 何をしているっ!」
「おめぇが剣を放さねぇからだ」
「どういう理屈だ、それはっ」
「だって……こうすれば、おめぇの剣もなんの役にもたたねぇだろ?」
「…………」
「こんな剣、捨てちまえよ。かわりにおれがおめぇを守ってやるからさ」
「おれはおまえに守ってもらわなきゃならないほど弱くない!」
 おれは幽助をつきはなそうとしたが、抱きしめる力が強すぎて身動きがとれない。
「おめぇが剣を捨てることができないならそれでもいい。おれは剣ごとおめぇを抱きしめてやるだけだ」
 幽助の声と吐息がおれの耳をふるわせ、心をぐらつかせる。
 そうやって、おまえはおれを弱くするのか?
 おれに剣を捨てさせて、おれのすべてを奪い取るのか?
「ふざ……けるな……」
「飛影」
「おれから離れろ! こんなことをして何になるっていうんだ!」
「飛影! おれはおめぇの剣にだってなってやれる! だからそんなに肩をいからせてないで、ちょっとは素直になってみろよ!」
「消え去れ! おれはおまえなんかいらない! おれはおれだけの力で強くなる!」
 そうわめいた途端に、すっと目が覚めた。
 煙のように、幽助の姿も声も感触も……消え去ってしまった。
 おれの目の前に広がるのは、血の色に染め上げられ腐臭に満ちた、幽助の気配のかけらも存在しない世界。
「夢……だったのか……」
 耳に届いた声も、肩を抱きしめた腕も、あの髪の匂いさえも……すべては幻だったのか。
「はっ……ははっ……」
 かわいた笑いが、自然に口からもれ出た。
 そうだな。おまえがあんなことをするわけがなかったな。
 おれを――おれの剣ごと――抱きしめるなんてこと、誰もするはずがなかったな。
 それはあたりまえのことなのに、なぜ、それと気づくことができなかったのか。なぜ、あれを本物の幽助と思ってしまったのか。
 そして、おれは剣を――おれが唯一、信じることができる味方を――しっかりと抱きしめながらつぶやく。
「おまえはいつも冷たいんだな」
 おれの剣になると言った幽助は、あんなにあたたかかったのに……。

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