月下の法廷


罪を知らぬ者にとって
罰はただの苦痛にすぎない

罰は罪を知る者のためにある


「たいしたものだな。本当に人間らしい生活をしておる」
 夕食をすませ、自室に戻ってきた蔵馬を、そんな台詞が出迎えた。
 蔵馬は不機嫌そうな表情で部屋の灯りを点けると、窓辺に腰かけている侵入者をねめつけた。
「人間の世界ではこういうのを不法侵入というんですよ、コエンマ」
 霊界裁判の席で初めて見た時とは姿がまったく違うが、蔵馬にはすぐに相手の正体がわかった。
 霊界のエンマ大王の跡取り息子、コエンマ――この特殊な霊気を持つ者が他にいるとは思えない。それに、額の文字と口のおしゃぶりが何よりの証拠だ。
「おまえはちっとも驚かんのだな。ちょっとは幽助を見習え。あやつなら、もっとワシを楽しませてくれるぞ」
「貴方を楽しませても、おれはちっとも楽しくないですからね」
 コエンマの暴言に蔵馬はため息まじりで答えた。
 すると、幽肋はコエンマが現れるたびにいちいちおおげさに驚いて、彼を喜ばせているのか。感覚は鈍そうだったから無理もない。
 そんな幽助を見て楽しんでいるこの霊界の跡取り息子も、ずいぶんと悪シュミではあるが……そんなことをやりたくなる気持ちもわからないではない。
「で? 霊界のおエライさんが、わざわざこんなところまでいらした理由は?」
 蔵馬の表情も声音も、これ以上はないというほどに冷やかだ。
 そんな慇懃無礼な態度に、コエンマが苦笑を浮かべる。
「人間の母親に見せる愛想の良さの一割でもいいから、ワシに見せてくれんか?」
「いやです」
「……罰を重くするぞ」
「公私混同ばかりしてると、お父上に勘当されますよ」
「…………わかった。さっさと用件に入ろう」
「最初から素直にそう言えばいいんです」
「…………」
 とりつくしまもないといった調子の蔵馬の対応に、コエンマはむっとした様子だったが、すぐに気を取り直すと、すっくと立ち上がり、表情を引き締めた。
 先程までの人の良い笑顔は消え去り、今では人間界を監視する者としての威厳が、彼の全身から漂う。
「霊界三大秘宝盗難事件に関する妖狐・蔵馬への判決が出た。今日はそれを伝えに来たのだ」
「コエンマみずからですか?」
「実を言うと、最終尋問が残っていてな。判決はその答え次第なのだ。おまえの答えによって判決は決まる。ワシはその審査官だ。心して答えろよ」
「……わかりました」
 蔵馬は答えると、コエンマを正面から見据えた。
 ゆらぎのないまっすぐな視線だ。
 彼の中にはきっと、秘宝を盗んだことに対する罪悪感や後悔はない。そして、その結果として受ける罰から逃げる気もない。
 あれは彼にとって罪ではなかった。
 そのような者に与える罰に、どれほどの価値があるというのか……。
「では、質問だ」
 コエンマはもったいぶるように呟払いをしたが、それに続いた最終尋問は、蔵馬の意表をついていた。
「おまえ、浦飯幽助という人間をどう思う?」
 思いもよらぬ質問に、蔵馬がきょとんとした表情をみせる。
 途端にコエンマが背をおり、腹を抱えて笑い出した。
 一瞬、顔を赤くした蔵馬だったが、さすがにすぐに平静を取り戻すと、いまだに笑いこけているコエンマを憮然としてみやる。
「貴方はおれをからかうために来たんですか?」
「尋問に対する返答以外の被告の発言は許しておらんぞ」
 口許に笑みを残したままコエンマが答え、蔵馬は彼をじろりとにらみつけた。
「なぜ、それが最終尋問になるんですか?」
「だから、余計な発言は認めないと言っとる」
「……わかりました」
 蔵馬は前髪をかきあげると、かすかに吐息をついた。
「幽助には借りがあります。おれはその借りを返したい。けれど、その借りがなくても、おれはあの人間に関わってみたいと思っています。幽助は……とても興味深い存在ですね」
 蔵馬の発言は実に素直で、先程から警戒心もあからさまな態度を取り続けていた彼とは、その表情も声音も違う。
「ふむ……その意見には賛成だな。あやつに関わっていると、退屈の二文字から解放されるぞ。もっとも、平穏の二文字とも縁が切れるが」
 コエンマはしみじみとつぶやくと、ふわりと笑った。
「おまえは幽助のことを自慢気に語る……おもしろいものだな」
 そう語るコエンマこそが自慢気で、蔵馬はおもわず苦笑をもらしてしまった。
 コエンマは自分と同じものを信じている。ならば、彼を信用してやってもいいだろう。
「よし、最終尋問はこれで終わりだな。ワシの判決を伝えよう」
「はい」
「おまえの身がらはワシが預る。これからはワシの命令に従ってもらおう」
「?」
「霊界探偵である浦飯幽助の協力者になれ。あやつはおまえも知っておる通り、いまだ発展途上で一人で仕事をやらせるには不安がある。なにせ、すぐに無茶をやらかすしな。おまえのような冷静な判断力を持つ者がついていれば、少しは安心できるだろう」
「そ……れは……」
「幽助のため、ひいては霊界のために働くことに不服はあるか? その働きによっては、免罪も可能という特典つきだぞ」
 蔵馬たちは霊界の秘宝を盗み出し、彼らのメンツをつぶした。いかに情状酌量の余地があったとしても、そんな大罪を犯した者に対して、それはおそらく軽すぎる罪だ。
 見たわけではないコエンマの奮闘ぶりが、容易に目に浮かぶ。
「不服はありません。判決に従います。幽助のため、ひいてはおれ自身のためにできる限りのことはしましょう」
 蔵馬はコエンマの言葉をさりげなく訂正した。
 霊界のためではなく、自身のためにやるのだと。
 そんな蔵馬の宣誓に、だがコエンマは満足そうにうなずいた。
「これで決まりだな。追って命令を伝えるから、それまでは人間界でおとなしくしていろ」
「わかりました」
「……幽助を頼んだぞ。あれはなかなか希有な人材だからな。霊界としては失いたくない」
 コエンマはそんな言葉を残して、姿を消した。
 蔵馬はコエンマが先程まで立っていた場所に立つと、窓枠に手をかけ、空を仰ぎ見た。
 深い藍の色をした夜の空には、白い月が幻影のように漂っている。
「幽助を失いたくないのは、霊界ではなく貴方でしょうに……。まあ、それはおれも同じことですけどね」
 からかうような蔵馬のつぶやきを、コエンマが聞いていたかどうかはさだかでないが、少なくとも月は聞いていてくれただろう。

おわり

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