101年目のふたり


 幽助と飛影が寝食を共にするようになってから、多分、一年が経つ。
 多分、というのは、四季がない魔界で、カレンダーやら時計やらをまったく必要としない日々を過ごしているため、ふたりそろって現在の日付がよくわかっていないためである。
 幽助言うところの「飛影との同棲」、飛影言うところの「幽助がつきまとってるだけ」は、ふたりが出会ってからちょうど一〇〇年目に始まった。
 「一緒に暮らしたい」と言った幽助に対して、「明日までなら」と飛影は答えたわけだが、その「明日」はとりあえずいまだに継続中である。
 時折、喧嘩はするのだが、いつもなしくずしに元の鞘におさまっている。幽助が怒って、飛影の前から姿を消すこともあるが、翌朝、目を覚ますと、ちゃっかり隣で寝ていたりする。
 だから、今回もそのパターンだろうと……飛影はたかをくくっていたのだ。


 目を醒ましても、ひとり。
 そんな事態に、飛影はいらだっていた。
 二日前の昼頃に、幽助と飛影は、蔵馬が見ていたら「痴話喧嘩」と評してくれそうな、他愛ないといえば他愛ない、おとなげないといえばおとなげない喧嘩をした。
 そして、その結果、飛影が「おれの目の届かないところに行ってしまえ!」と怒鳴り、幽助が「目の届かない範囲って、おめぇの場合、どのくらいだよ」と、もっともではあるがピントのはずれたことを訊ね、飛影の怒りの炎にガソリンを撒いてしまったため、そのままふたりが現在、暮らしている洞窟から追い出され、日が暮れても戻ってこず、飛影は怒ったまま眠りについたのだ。
 翌朝、起き上がり、幽助の姿をみつけることができなかった時、飛影は困惑した。
 いつもなら、いつのまにか隣にきて眠っている幽助を蹴り起こし、言い訳なり泣き言なりを聞いて、うやむやのうちに決着がついたことになってしまうのに、当の本人がいないのではどうしようもない。こういう事態は、前例もなければ想定もしていなかったため、一体、どう対処していいのかわからなかったのだ。
 そして、困惑の時間が過ぎ、今度はふつふつと怒りがこみあげてきた。
 どうして、幽助が帰ってこないことで、自分がこんなに考えこまなくてはいけないのか?
 そもそも、どうして、自分は「幽助が帰ってくる」と思いこんでいたのか?
 ここは幽助の家ではなく、幽助はただ自分にうるさくつきまとってきただけなのだから、むしろ、幽助が来ないことを喜ぶべきではないのか?
 しかし、どんなに怒っても、それをぶつける相手がいなければ、ただ自分の中にたまっていくだけで、むなしいばかり。
 怒りが疲労に変質してしまうのは、当然のなりゆきで、飛影は一日をそんなふうに悶々と過ごし、夜を迎え、寝つけずにうとうとしただけで、朝を迎え……それでも幽助は帰ってこなかった。


 額の邪眼に手をあて、しばらくそのままの格好で真正面の岩肌を凝視した後、飛影は軽く首をふり、パンと地面にてのひらを打ちつけた。
 邪眼を開いてでも、幽助を探し出さなければならない理由を、思いつけなかったからだ。
 無意識のうちに、洞窟の入り口に視線が向いてしまう。
 いっそのこと、ここを出て、幽助がみつけ出せないような場所に移動してしまえばいいと思う。
 きっと幽助はあわてふためいて、みっともなくおろおろして、自分を探すためにあちこちかけずりまわるだろう。それを、遠くから高みの見物を決め込むのは、なかなかにおもしろそうだ。
 そんなことを考えてはみるけれど、実行にはいたらない。
 ただぼんやりとして、洞窟の中から出られないでいる。幽助が張った見えざる結界に、閉じこめられているような気さえしてくる。
 いつのまにか、夜がまた来ていて、夕方から降り出した雨はどしゃぶりになり、雨音は騒音となって、鬱々とした気分を悪化させる。
 そんな中、背をまるめ、ひざをかかえこみながら、うつらうつらしていた飛影の耳に、いきなり、雨音以外の騒音が飛び込んできた。
「どーして、おめぇはそう、寒そうなカッコで寝てるかなぁ」
 あきれているような、怒っているような口調に、飛影が驚いて顔をあげると、幽助がしゃがみこんで、顔をのぞきこんでいた。
 飛影はおもわず、幽助の顔を凝視してしまった。
 あんまりなにげなく幽助が帰ってきたので、この数日間のことは、うたた寝のあいまに見ていた夢だったのかと、一瞬、錯覚してしまったためだった。
「飛影? どうした?」
 意外な反応に、幽助がけげんそうな顔をしている。
「……おまえの方がよっぽど寒そうな格好をしていると思うが?」
 ようやく我にかえった飛影は、幽助が視界に入らない方へ顔をそむけた。
 夢と現実を取り違えるなんてどうかしている。おまけに、こんなに接近されるまで、幽助の存在に気づけなかったほど、気を散らしていたとは、無様としか言いようがない。
 全身ずぶぬれで、水泳の直後といった風情の幽助は、苦笑を浮かべながら、濡れた髪をかきあげバックに流した。
 髪の先から散った水滴が、二粒ほど飛影の頬にあたり、それに気づいた幽助が、指先でそれをぬぐったが、指の方も濡れていたので、余計、濡れてしまい……飛影が不機嫌そうにそれをはらいのけ、自分のてのひらで自分の頬をごしごしとこする。
 幽助は、そのような愛想のかけらもない飛影の態度には慣れっこなので、臆することも怒ることもしなかった。
「そーゆー意味の寒いじゃねぇよ」
 水を吸ってベチャッと肌に張りついている上着を脱ぎながら、幽助は苦笑まじりに言った。
「ひざなんか、かかえこんで、いかにも自分で自分をあっためてます、ってことやってるおめぇの姿が、めちゃめちゃ寒そうに見えた、ってことだよ」
「…………」
「おれがいるってのに、そんなことすんなよ」
 そう言いながら、飛影の頭を自分の胸元に引き寄せようとした幽助のあごに、おもいっきり本気のアッパーパンチがはいり、そのからだが吹き飛び、洞窟の天井にぶつかってはねかえり、地面にたたきつけられた。
「いっ……てー……」
 幽助があごをおさえながらうめく。
 幽助は油断していたし、飛影は手加減なしだったから、かなりなダメージだった。
「だが、おまえはいなかったじゃないか!」
 おもいっきり怒鳴ると、飛影は洞窟から飛び出してしまった。
 なぜ、自分が逃げるように出ていかなければならないのか、とは思ったが、自分が叫んだ言葉に動揺してしまい、とにかく幽助に自分の姿を見られたくない一心で、気がついたら走り出していた。
 幽助は自分のそばにいなかった。
 そんなことで、こんなふうに幽助を責めるなんて、まるで……幽助は自分のそばにいなければならないのだと、決めつけているようではないか……。
 それではまるで……幽助が自分を必要としているのではなく……自分が幽助を必要としているようではないか……。


 飛び出した飛影を、あわてて追いかけた幽助は、おもったよりもあっさりと、どしゃ降りの雨の中を歩いている飛影の後ろ姿を発見した。
 草の根わけてでも探し出す意気込みだった幽助はおもいっきり拍子抜けしたが、とにかくなんとかして飛影のご機嫌を回復しなければ、と自分に言い聞かせ、三メートルほど距離を置いて、その後をつけた。
「飛影。飛影ちゃん。飛影さま」
 とりあえず声をかけてみるが、予想通り、飛影は振り向きもしなければ立ち止まりもしない。
「もしかして、すっげぇ、怒ってる?」
「……おれが怒らなければならない理由がどこにある」
 今度は返事がかえってきたが、声も答えも実にそっけないものだった。
「悪かったよ。ちょっと気が向いて、北神たちんとこに顔出しに行ったら、あのタコぼうずどもが、なんか辛気くせーツラしてやがったんだよ。理由を聞いてみたら、あの雷禅のクソおやじが死んで、ちょうど一〇〇年目にあたるとかでさぁ……んなこと、いちいち覚えて、こだわってんじゃねぇって、言ってやったんだけど、反対に雷禅の思い出話を聞かされちまってさぁ。おれは雷禅の代わりじゃねー、ってわめいたんだけど、おれの言うことなんか聞いちゃいねー、って感じでよってたかっておれを引き止めやがって、すっかり昔話につきあわされちまって、よーやく逃げてきたんだぜ。……まったく、ジジィどもは涙もろいわ、しつこいわで、どーしよーもねーよな」
 つとめて明るい口調で、幽助が事情を説明する。
「なぁ。機嫌なおしてくれよ。三日も帰ってこなくって、本当に悪かったと思ってるからさぁ」
 あくまでも低姿勢に幽助が謝り続けていると、ふいに飛影が振り向いた。
「どうして、おまえが帰ってこなければならないんだ?」
「どうしてって……」
「おれはおまえの家族じゃないぞ」
「でも、おめぇは待っててくれたじゃないか」
「待ってたんじゃない! ただ居ただけだ! おれがどこに居座ろうと、おれの勝手だろう!」
「なら、おれが、おめぇのいるところに帰りたいって思うのも、おれの勝手だろ!」
 幽助の言葉に、飛影は目をふせ、とまどうような表情を浮かべた。
 けれど、そこで飛影が折れることはなかった。
 まだ許せなかった。何を……誰を……許せないのかはわからなかったが。
「……“明日”はもう過ぎた。約束はすでに無効だ。もう、おれにいっさい干渉するな!」
 それだけ言って、飛影はまた歩きはじめた。
 まっくら闇の中を、飛影はゆっくりと歩く。幽助もその後を、ゆっくりとついていく。
 そうやって三十分ばかり歩いた後、幽助は再び飛影に話しかけた。
「なぁ、せめて、雨やどりしねぇか?」
 どしゃぶりの雨は、一向に弱まる気配を見せない。
 その激しい雨に容赦なくさらされて、小柄なからだが、余計に小さくはかなく、幽助の目にうつる。
 飛影がふいに、足を止めた。
「おまえが、おれに何をしてくれると言うんだ?」
「……飛影……」
「おまえは、おれから何を奪おうとしているんだ?」
 背中ごしに問いかけてくる飛影の肢体が今にも雨に溶けてしまいそうで……幽助はおもわず泥水をはねあげて駆けより、飛影を背中から抱きしめた。
 飛影は動かなかった。
 ただ黙って……幽助に包まれている。
「おまえがそばにいたって、おれはこうやって雨に濡れる。……おまえをそばに置いておいても、何の役にも立たない」
 飛影はポツリとつぶやいた。
 カタンと首を横にまげ、幽助の右の首筋に額をあずけると、雨滴が幽助の髪をつたって唇の上を流れてゆく。薄く口を開くと、雨水にまじって髪が入ってきたので、ギリリとせいいっぱい噛んでみた。そんなことでは、かすかな痛みさえも幽助に与えられないと知りながら……。
 それに気づいた幽助は、自分の右腕を飛影の口元に押しつけた。
「噛みつきてぇんなら、こっちにしろよ」
 耳元に直接、響いてくる幽助の声は静かで、熱い。
 飛影は黙ったまま幽助の右腕をはらいのけ、かわりに自分の左腕を幽助の口元に押しあてた。
「飛影?」
「これを噛みちぎることができたら、明日までそばにいてやる」
「…………」
「どうする? 幽助」
 自分が欲しがっている答えが、飛影にはわからない。
 そんなことはできないと言って欲しいのか、どんなことをしてでもそばにいたいと言って欲しいのか。
 わかっているのは、幽助がどう対応しても、またなしくずしにその希望を呑んでしまうのだろう、ということだけだ。
「……ずいぶんとひでぇテストだ」
 幽助は不機嫌そうにぼやくと、飛影の左手をしっかりと握りしめて固定し、その手首の内側をペロリとなめた。
「!」
 飛影のからだがビクリと跳ねたが、幽助はかまおうとしない。
 長時間、雨にうたれて冷えているはずのからだが、たちまちのうちに赤みをおびてくる。
 手首の内側に痕を残した唇がすぅっと腕をすべり、ひじの内側にまた痕を残そうとして止まる。
 飛影が逃れようとじたばたしても、幽助はしっかりとつかまえて離さない。
「ゆっ……幽助……馬鹿っ……放せっ……」
「なんだよ。自分からエサさしだしといて、引っこめんのかよ」
「そういうことじゃないっ!」
「じゃあ、どういうことだよ!」
 幽助は飛影の腕から口を離し、大声で怒鳴った。
「おれのこと、いちいち試すんじゃねぇよ! おれはそんなに信用できねぇかよ! 試してねぇと安心できねぇほど、どうしようもねぇ男かよ!」
 一気に言いたいことを言うだけ言って、幽助は飛影をおしつぶさんばかりに抱きしめた。
 その幽助の言葉と抱擁に含まれた激しい憤りに、飛影は自分の負けを認めるしかなかった。
 けれど、幽助は少しだけ間違っていた。
 飛影は、幽助を試したかったわけではなく、自分自身を知りたかっただけなのだ。
「ああ、そのとおりだ。おまえ以上にどうしようもないヤツなんか、どこにもいない」
 飛影は苦笑まじりにつぶやくと、いきなり幽助の腕をたぐり、背負い投げをしかけた。
 さすがに見事な受け身はとったものの、しっかりと投げ飛ばされてしまった幽助は、ぶせんとした表情で飛影をにらみつけている。
 少しの間、見かけなかっただけなのに、とても懐かしく感じる顔だった。
「いいかげん、ずぶ濡れになってるのが嫌になってきた。……帰ろう」
 飛影はスタスタと、洞窟に向かって歩き出した。
 幽助はあっけにとられている様子だったが、すぐに気を取り直して、飛影の後を追いかけてきた。
「そうだな。……で、屋根のあるとこで続きやろうぜ」
「続き? なんのことだ?」
「おめぇなぁ……。そっちから誘っといて、今さら……」
「………………おまえ、もう少し、雨で頭冷やした方がいいぞ」
 そうして、ふたりは来た道を戻り、同じ場所に帰った。
 それが、ふたりが出会って約一〇一年目に起こった出来事であるが、一〇二年目にどうなっているかは、神様のみぞ知る、と言ったところであろう。

おわり

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