冬の夜空に


胸を張って 生きていく


「いらっしゃーい……っと、なんだてめえか」
 台に手をつく音を聞きつけ、屋台の中で振り返り営業用スマイルを向けた幽助は、客の顔を見た途端にそうぼやいた。
「てめえはねえだろ、てめえは。これでも客だぜ」
 幽助の愛想のない言葉に苦情を申し立てながら桑原は椅子に座ったが、大柄な彼にとって屋台は狭苦しいらしく、いかにも窮屈そうにしているその姿は、なんだか妙に愛敬がある。
「てめえのどこが客なんだよ」
「ヒマそうにしてたくせに、客、選ぶんじゃねえ」
「……」
 痛いところをつかれて幽助が顔をしかめる。確かに、どういうわけだか今日は客がまったく来ていないのだ。
「へいへい。お客さん、ご注文は?」
 むっとしてしまった幽助がなげやりな口調で注文を聞いたが、桑原はとりあえず無視をきめこむことにした。
 下手な追及をしたら屋台から追い出されそうな気がしたし、今日だけは幽助と喧嘩をしたくなかったのだ。
「チャーシューメン、大盛り」
「了解」
 手際よくどんぶりにチャーシューメンを盛り付けた幽助が、それを目の前にトンと置く。その動作がいちいちサマになっていて、最初にそれを見た時になんだか複雑な気分になったことを、桑原は唐突に思い出した。
 いつでも抜き身の剣のようなギラギラした瞳で他人を牽制していた幽助が、気がつけばそれを鞘におさめ、穏やかな表情でラーメンをつくっている姿に、安心感と疎外感と違和感がごちゃまぜになったようなわけのわからない感覚をおぼえたのだ。
「ところで雪菜さんはどうしたんだ? 一人なんて珍しいじゃねえか」
 感慨にふけりながらラーメンをすする桑原に、幽助が問いかける。
 桑原はたいていの場合、雪菜、または大久保、桐島、沢村の三人組と連れ立ってこの屋台にやってくるので、一人っきりというのは本当に珍しいことだった。
「一人じゃ悪いかよ」
 ぼそっと答えた桑原の表情が、ちょっと不機嫌そうだったので、幽肋はきょとんとした表情を見せたが、すぐにニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、興味津々といった様子で身を乗り出した。
「雪菜さんと喧嘩でもしたのか?」
 尋ねる瞳が心なしキラキラしているように感じられるのは、桑原の披害妄想のなせるわざ……というわけでもないだろう。
「そんなことするわけねえだろ」
「そりゃそうだ。おめえにそんな度胸はねえよな」
「うるせえ!」
 幽肋の逆襲に、雪菜が大切すぎて喧嘩なんてできるはずもない桑原が、トンと台をたたく。
「おれたちはそれで幸せなんだよ」
「幸せなのはてめえだけだろうが」
「だから、うるせえって言ってんだろ」
 そう言い捨て、視線を落とし黙々とラーメンをすする桑原の様子がちょっとおかしく感じられて、幽助もなんとなく黙りこんでしまった。
 なんだか……二人っきりでこんなに神妙な空気の中にいるのは初めてのような気がする。
「ごっそうさん」
 わりばしをどんぶりの上に置いてコップの中の水を一気飲みした桑原を、幽助が横目でにらみつける。
「で、おれになんか用か?」
 単刀直入な幽助の問いに、桑原は困ったような表情で、ポリポリと頭をかいていたが、無意味にカラになったコップを両手で握りしめながらそれをじいっとみつめ、しばらくして今度は左手で頬杖をついて、ぼおっとあらぬ方向をみやった。
「なんだよ。言いてえことがあるなら、はっきり言えよ!」
 短気な幽助が怒鳴ると、桑原は視線をはずしたまま、ポツリとつぶやいた。
「その……大学に行けることになったんだ、おれ」
「へっ?」
「おれ、骸工大に受かったんたよ」
「そっ……そりゃあ、めでてえじやねえか。なんで、それだけのこと言うのに、そんなに手間ぁかけてんだよ」
 桑原の報告を受けて、幽助が不思議そうな顔をする。
 いつもの桑原ならば、大声で自慢していそうなものなのに、なぜ、こんなにしんみりとしているのかが、わからないのだ。
「蔵馬が大学に行かねえで、おめえが行くとは、世の中わかんねえもんだよな。雪菜さんと静流さんも喜んでくれただろ」
 桑原は付属高に入っていたから、外部から受けるよりはずっと骸工大に入りやすくなっている。それても、補欠で入った彼が、進学できるとはたいしたものである。
「まだ誰にも言ってない。……今のところおめえしか知らねえんだよ」
「へっ? なんで?」
「なんでって……その……おめえに一番に知らせたからだろ」
「?????」
 ますますわけがわからないといった表情で幽肋にみつめられ、桑原は困り果てた様子でキョロキョロと視線を動かしていたが、ふいにキリと表情をひきしめるとガタンと椅子をならして立ち上がった。
「おれは高校に受かった時、おめえにそれを自慢できなかったのが、すっげえ悔しかったんだ! だから、今度はおめえに一番に知らせてやるって最初っから決めてたんだ! それのどこがおかしい!」
 桑原は屋台に両手をつくと一気呵成にそう怒鳴り、幽助をありったけの力をこめてにらみつけた。
 幽肋はあまりの迫力に気圧されてあぜんとしていたが、ふいにプッと吹き出すと、ゲラゲラと笑い出した。
「だっ、誰もおかしいなんて言ってねえだろ」
「じゃあ、なんで笑ってんだよ」
「そりゃあ、おめえがあんまりおかしいこと言うから」
「…………」
「でもまあ、せっかく一番に教えてくれたんだから、一番に言ってやるぜ。……よくがんばったな。おめでとう。これでおめえは一生の運を使い尽くしたな」
 幽肋は笑いすぎて出てきた涙をふきながら、そんな言葉で桑原を祝福した。
「……最後のは余計だ」
 桑原が照れたようにつぶやき、椅子に座り直すと、幽肋は屋台の中から焼酎を取り出しコップに注ぎ込んだ。
「祝いにタダ酒、飲ましてやるぜ。ありがたく思いな」
「おめえなあ……それがバレて、入学取消になったらどうしてくれんだよ」
 そんな常識的なことを言いながらも、桑原の目はしっかりと喜んでいる。
「大丈夫! 絶対にバレねえって」
「ホントだろうな」
「バレてもおれは困らねえし」
「……ひっでえ……」
 二人は焼酎で乾杯すると、ポツリポツリと会話を交わしながら酒を飲んだ。
 途中で何人かの客が来たが、幽助は「今日は貸切だから」と言って、皆、丁重に追い返し、身の回りのこと、魔界での出来事、仲間たちの近況を二人っきりで静かに話し合った。
「考えてみればよお……おれたちって、いつのまにこんなに離れちまったんだろうな」
 ふいに桑原がつぶやき、幽助の首をかしげさせる。
「そりゃ、どういう意味だよ」
「だってよお。おれたち、ほんの少し前まで、同じ学校に通って、毎日毎日、喧嘩してたんだぜ。それなのに、気がつけばおれは大学生で、おめえは高校いかずに働いてて……おれたち、もう何年もとっくみあいの喧嘩してねえだろ」
「言われてみればそうだな」
「わかってんだよ。もう格が違いすぎて、おれはおめえの喧嘩相手にもなりゃしねえ。……わかってんだよ」
 なかばやけ気味につぶやく桑原を、幽肋は複雑な表情でみやる。
 喧嘩相手を求めて魔界にまで行ってしまった自分が、何を言っても言い訳にしかならないような気がするけれど、黙っていてその言葉を肯定したと思われるのも不本意で……結局、何をどうしていいのかがよくわからない。
「おれはさ、大学に行って、就職して、大人になって、オジンになって、ジジィになって死ぬんだ。だけど、おれが死ぬ時もきっとおめえは、今とまったくかわらねえんだろうな」
「…………」
「おれはどこまでもおめえにくらいついてやるつもりだったけど、いつのまにか振り落されてたんだよな……」
 非常に珍しい愚痴をこぼす桑原を、眉根を寄せて凝視していた幽助の表情が、序々に不機嫌そうになってきた。
「……くらいついてくればいいだろ」
 幽助がいまいましげにつぶやく。
「浦飯?」
「そりゃあ、最初は喧嘩だけのつきあいだったけど、今はそうじゃねえだろ。喧嘩の相手をしてやらねえぐらいのことですねんじゃねえよ!」
「だっ、誰がすねてんだよ!」
「じゃあ、んなこと言うんじゃねえ!」
 むきになった桑原に、幽助がさらにむきになって答える。
「おれはおめえなんざ手も触れずに殺せる! おめえは喧嘩の相手になんかなりゃしねえ! でも、おれはおれだろ! なんで、今さらおめえに特別扱いされなきゃなんねえんだよ!」
「浦……飯……」
「おれはなんにも変わっちゃいねえし、おめえもなんにも変わってねえ! そうだろ!」
 ぎっとにらみつける幽助の視線は、それだけで人を殺せそうな力を持っている。
 この瞳だ。この瞳を見たくて、自分は幽助に喧嘩をふっかけ続けていたような気がする。
 怒っている幽助。笑っている幽助。泣いている幽助。いろいろな幽助を見てきたけれど、自分を本当に魅きつけたのは、この底知れぬ力を秘めた瞳だった。
 抜き身の剣は鞘におさめられただけ――錆付いたわけでも、折れたわけでもなく、変わらぬ鋭さでここに厳然として存在するのだ。
「本当に……おめえは変わらねえな」
 桑原はニヤリと笑うと、そのままドサリと椅子ごと後ろに倒れてしまった。
「おいっ、なにやってんだよ」
 幽助があわてて屋台から出て駆け寄ると、桑原はあおむけに寝転がっている。
「いきなりひっくりかえるなよ。びっくりするじゃねえか」
 かたわらにしゃがみこんた幽助にボコンと頭を殴られて、桑原が苦笑いを浮かべ、ふと真顔になる。
「浦飯……」
「あんだよ」
「おめえがどこでどんな生き方をしようと勝手だけどよ……せめて、おれの葬式には出てくれよ」
「今からそんなこと心配してどうすんだよ」
「おれはおめえの葬式に出てやったことあんだぜ。だから、それが公平ってもんだろ」
「…………」
「おれ、おめえに二度も死なれたんだぜ。でも、三度目はきっとねえな……それにはすっごく感謝してる」
「桑原……」
「おれの生き様と死に様をしっかりと見届けてくれよ。おめえを失望させるようなことは絶対にしねえから」
 その瞳をまっすぐに見据えながら、桑原は力強い瞳で宣誓し、幽助の腕をしっかりと握りしめた。
 幽肋の腕は自分よりも細い。身長だって体重だって幽肋に勝っているのに、力はいつでも負けている。
 それが悔しくないと言えば嘘になるが、誰よりも強い幽助を何よりも必要としている自分を知っているから……きっとこの状態が一番、幸せなんだろう。
「あったりめえだ。無様なことやりやがったら、すぐに見捨ててやる」
「うん。見捨ててくれ。おめえに見捨てられるようなおれなんて、おれはいらねえから」
「ふん……似合わねえこと言ってんじゃねえよ」
「似合わねえかな……やっぱ……」
 桑原はニッと笑うとむくりと起き上がり、軽く首を振った。
「おれ、もう帰るわ」
「そうだな。早く帰って、雪菜さんと静流さんを喜ばせてやんな」
「ああ。酒うまかった。ありがとよ」
 桑原はそう言って、おぼつかない足取りで立ち上がり、幽肋の屋台を去った。


 二人っきりの時間が終わり、一人っきりの帰り道を歩きながら、桑原はふと空を仰ぎ見る。
 冬の夜空は涙が出るほど綺麗で――彼はまぶしそうに、そっと瞳を閉じ、その場にしばらく立ち尽くしていたのだった。

おわり

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