日曜の午後はみんなでお茶を


「たまにはみんなでお茶でも飲みましょうよ」
「そんなことして、なんの益になる」
「おや、知らないんですか?」
「?」
「なんの益にもならないことって、とっても楽しいんですよ」
「……………………」


 首縊島から帰ってきて半月ほど経ったとある日曜日。幽助、蔵馬、飛影、ぼたんの四人はひさしぶりに顔をつきあわせることになった。
 これは、もともとは幽肋の監視役であったぼたんが、ついでだから人間界での蔵馬と飛影の監視もやれと、慢性的な人手不足に頭を抱えているコエンマに命令され、とりあえず形式的に月に一度ほど、自分の監視下にある三人――桑原は霊界の監視下にはないので数に入っていない――を一箇所に集めて、近況報告をさせようと強引に定めてしまったために起きた事態である。
 ちなみに集合場所は、温子に霊界のことを隠す必要がなくなったために、みんなの出入り――と言っても、出人りに問題があるのは飛影だけだった――が自由になった浦飯家である。
 蔵馬は温子への手みやげ持参で現れた。
 飛影は不満と不本意の計五文字を顔に大書きしたまま、窓から部屋に侵入してきた。
 呼びもしないのに、どこからかしゃしゃり出てきた桑原は、定刻一時間前から浦飯家に居座ってゲームに熱中している。
 ちなみに温子は昨夜から行方不明になっているらしい。
 少し遅れて現れたぼたんは、リビングのドアを開けると、それぞれ勝手なことをしている四人を見て軽いため息をついた。
 幽肋と桑原はゲームに熱中している。
 それはいい。全然かまわない。
 たがしかし、幽助はくわえタバコでコントローラーを握りしめているし、二人のかたわらにはあろうことか、ビールの缶やおつまみが無雑作にばらまかれているのだ。
 未成年どころか義務教育も終えていない幽助は、飲酒や喫煙が悪いことだなんて、ちらとも考えたことがないに違いない。この一般人との根本的な道徳観念のずれを、いったい、自分にどうしろというのか。
 蔵馬はくつろいだ様子で、ソファの背にもたれかかり、優雅なしぐさでコーヒーカップを口許に運びながら、幽助たちがゲームに一喜一憂している様子を微笑を浮かべて見守っている。
 蔵馬の監視なんてないも同然の任務だから、とりあえずは何も問題はない。
 だけど、幽助たちの喫煙や飲酒を咎めてくれたっていいじゃないかと、ぼたんは思う。
 さて、一番の難物である飛影は、窓際に座り込み、ぼうっと外を眺めている。彼がそうやって何を考えているのか……ぼたんにはさっぱりわからない。
 おまけに雪菜問題が浮上して以来、どうも桑原と飛影が同席している場は居心地が悪い。桑原に例のことをしゃべったりしないかと、飛影に見張られているような気がして落ち着かないのだ。
「久しぶりですね」
 画面から目が離せない幽助と桑原、そして、ぼたんがやってきたことに気づいていないわけもないのに、視線を動かそうともしない飛影のかわりに、蔵馬が声をかけてきた。
「ああ、久しぶり。皆、そろってるね」
「ええ、とっくに」
 笑みを浮かべながら余計な一言をいう蔵馬は、慣れた手つきでカップにコーヒーを注ぎ、ぼたんに差し出した。
「はい、コーヒー」
「ありがと」
「それで、皆を集めて何をするつもりですか?」
「実はね……することないんだ」
「えっ?」
 おもわず尋ね返した蔵馬の背後で、むっくりと立ち上がった飛影が窓枠に手足をかける。
「わーっ、待って、飛影。お願いだから待って」
 手をバタバタと振りながら、ぼたんが叫ぶ。
 ことここにいたってようやく幽助と桑原が、画面から目を離した。
「おっ、飛影。もう帰るのか?」
 のんきな言葉をかける幽肋を、ぼたんがにらみつける。
「幽肋。飛影を止めてよ」
「なんで?」
「だって……せっかく、集まったのに」
「別にいいじゃねえか。どーせ、やることないんだろ」
「だけどお」
 目をうるうるさせて哀願するぼたんを見て、幽助はうんざりしたような表情を見せたが、とりあえずその熱意に折れることにしたらしかった。
「飛影。すまねえけどよ。あと、十分だけつきあってくれや」
 幽助は飛影に声をかけるとぼたんをみやった。
「そういうことでいいだろ」
「うん」
 ぼたんが嬉しそうにうなずく。
「なっ、そういうことだからさ、飛影。頼むよ」
 幽助の要請に、飛影は不機嫌そうな表情を浮かべたが、とりあえずこの場をすぐに立ち去るのは止めにしたらしく、窓枠にかけていた足をはずし、その場にぺたりと座り込んだ。
「十分だけたぞ」
「いいけどさ、おめえ。いいかげん土足はよしてくれよ」
 幽助が飛影の足下をみつめぼやく。
 首縊島のホテルは洋室だったから気にならなかったが、それを自分の家にまで持ち込まれてはかなわない。
 飛影はぷいとそっぽを向いたまま、聞く耳持たぬといった姿勢だ。
「今度から飛影専用のスリッパを用意したらどうですか?」
 蔵馬が無敵の笑みを顔に張り付けたまま提案する。幽助はおもわず身を乗り出した。
「おっ、それいいアイデア」
「でしょ? 飛影の足のサイズだったら、普通のスリッパも、靴ごとはけますよね」
「それはいえるな」
「なんだと?」
 調子にのって会話を重ねる幽助と蔵馬に飛影がつっかかる。
「誰の足のサイズだって?」
「だって、飛影。素足じゃスリッパゆるいでしょ?」
「そんなもの履いたことない!」
 おもわず反論にもならない反論を返した飛影をみつめ、その他の四人は沈黙した。
 一同、それぞれにスリッパを履いた飛影の図を想像したものらしい。
 そして、それに続く爆笑の嵐。
 スリッパを履いた飛影。想像しただけで笑える。それで、ぶかぶかのパジャマでも着て、毛布のはしでも握っていたら完璧であろう。
 真っ赤になって笑う四人と、真っ赤になって怒る一人。
 なかなかの見ものではあったが、その楽しい団らんの時を中断させたものは、怒りに燃え上がる飛影の妖気のおかげて、本当に燃え上がってしまったカーテンであった。
「わーっ、なにすんだ。飛影」
 さすがに笑いをひっこめた幽助たちが、あわてて火を消しにかかる。
「冗談も命懸けだな」
「まったくだ」
 どうにか火を消し止めた幽助と桑原は、青ざめた顔を見合わせた。ぼたんなぞは、笑顔を凍りつかせたままその場で硬直している。
「おい、この力-テンどうすんだよ。おふくろが怒るぜ、きっと」
 幽助が黒コゲのカーテンを指差し、疲れたようにつぶやく。温子の怒りを想像しただけでうんざりしてしまったようだ。
「本当のことを言うしかないんじゃないんですか?」
 蔵馬がくすくすと笑いながら言う。
「放火魔の飛影が焼いちゃいましたって」
 蔵馬の言葉に、幽助たちはおもわず吹き出してしまった。
「ついでに貴様も焼いてやろうか?」
 名指しされた放火魔は、てのひらを開きテニスボール大の火球をつくってみせた。
「飛影。なんの必要もないのに力を誇示しようとするのは、弱いやつだけで充分ですよ」
 あくまでも泰然自若とした姿勢を崩そうとしない蔵馬を、飛影は憤然とした表情でねめつけた。
「こんなくだらないことのために、おれは呼び出されたのか?」
「あれ? 知らなかったんですか?」
「……」
「おれと飛影の行動を把握するのもぼたんの仕事なのに、貴方ときたらしょっちゅう行方をくらましてしまうでしょう? ぼたんは困り果てて、しかたなくこのような手段にうってでたんです。つまり、この会合は貴方のためだけに聞かれたようなものですね」
 蔵馬の言葉に、ぼたんはうんうんとうなずいていたが、飛影の射るようなまなざしを向けられて、またもや硬直してしまった。
「あいつの迷惑なんかおれの知ったことじゃない」
「けれど、ぼたんは霊界から派遣された者です。そして、おれたちはまだその監視下にあるんですよ」
「……」
 不愉快なことを思い出してむっとしている飛影に、蔵馬が顔を近づける。
「それとも、霊界に逆らってもう一度、幽助とやりあってみますか?」
 蔵馬に耳元で囁かれ、飛影は普通の者たったら、その場に立ち尽くしてしまいそうな凄みを含んだ笑みを浮かべた。
「それも一興だな」
「本気?」
「ああ、今の幽肋とだったらかなり楽しめるだろうな」
「それについては同意しますけど……わざわざ、幽肋の目の前で言わないでくださいよ」
 蔵馬があきれかえったとでもいうように肩をすくめる。
 気を使って、わざわざこっそりと話し掛けたのに、飛影が大声で答えてくれるものだから、他の連中の視線は二人に釘付けである。
「何が楽しめるって?」
 幽助がさっそくにじり寄ってきた。
「おまえとの再戦のことだ」
 冷笑を浮かべ、自分に視線を向ける飛影を、幽肋はちょっと困ったような表情でみやった。
「ふーん、だけどそれって楽しいどころじゃねえんじゃねえのか?」
「なぜだ?」
「今度こそ命懸けだぜ、マジで」
「それこそ望むところだな」
 こともなげに答える飛影をみつめ、幽助は一瞬、黙り込んでしまった。
 もう一度、飛影と闘うのか? 命を賭けて?
 想像がつかないというか……したくないというか……。
「黒龍波なんて危ない技、持ってるやつとマジで闘えるか。あんなもん使われて、まるやきにされちまったら、今度こそ生き返れねえじゃねえか」
「一度、生き返ることができただけで、十分だとは思わんのか? おまえは」
「……じゃあさ、おれの霊丸とおまえの黒龍波を禁じ手にするってのはどうだ? 素手でどちらかが『まいった』っていうまでやりあうんだ」
「幽肋。飛影は死んでも『まいった』なんて言いませんよ。そのルールじゃ貴方が負けるか、飛影が死ぬか以外の決着は望めません」
「それは……いえる……」
 蔵馬の鋭い指摘に、幽助はうなってしまった。
 普段、使わない部分を懸命に働かせ、どうにかして死なない程度に、飛影が納得のいくような形で決着をつけられないかと考えてみても、やっぱり何も思いつかない。
 すぐに思考を放棄してしまった幽肋は、髪をかきむしると、飛影をうらめしそうにみやった。
「なんでそんなにおれと闘いてえんだよ」
「貴様がおれに勝ったからだ。たとえまぐれであろうとも、それは変えられない事実だ。それが気にくわないのなら新たな事実をつくり出すしかないだろう」
「うーん、筋は通ってるなあ」
 根っこが単純に出来ている幽助は、腕組みをして真剣にうなずいてしまった。
「幽助。そんなに簡単に納得しないでよ」
 ぼたんが呆れて声をかける。
「そりゃあ、昔は敵同士だったかもしれないけど、今は生死を共にした仲間でしょ? そんな……殺しあいだなんて……」
「だけどよ。こいつの味方はしたくねえけど、気持ちはよくわかるぜ」
 ふいに桑原が口をはさむ。
 驚いた皆の視線が桑原に集中した。
「その……おれもまだ思ってるからな。いつか浦飯に勝ってやるって」
 桑原が照れたように笑う。
「ふん。貴様なんかが幽助に勝てるはずなかろう」
 飛影のせせら笑いに桑原が激昂する。
「なんだとお」
「桑原くん、やめてください」
 飛影に殴りかかろうとする桑原を、蔵馬があわてて引き止める。
 「まったくもお、男どもときたら野蛮なことばっかり! もうちょっと平穏に生きたいとは思わないの? 戦わずにすむのならそれが一番だとは思わないの?」
 ぼたんが男たちの物騒なやりとりにたまりかねてわめきだした。
 本気でこの連中の面倒を見るのがいやになってきたらしい。
「ぼたん……それを飛影に求めるのは、ちょっと無理……」
 桑原の腕をおさえながら、蔵馬が苦笑いを浮かべる。
「だって、桑原くんも飛影も勝手なことばっかり。……まさか、蔵馬まで幽助と戦いたいなんて、言い出さないでしょうねえ」
「残念ながらおれは命が借しいんだ。他の二人と違ってね」
 ヒステリー気味のぼたんの問い掛けに、蔵馬は余裕の笑みで答えた。
「そのわりには簡単に命を投げ出そうとするな、貴様は」
「飛影?」
 飛影の不機嫌そうなつぶやきを聞きつけ、蔵馬はけげんそうに振り向いた。
 飛影は余計なことを言ったとばかりに、顔をしかめている。
 部屋に奇妙な沈黙がはしった。
「十分、経ったな」
 飛影はポツリとつぶやくと、窓から外に飛び出してしまった。
「あーっ、飛影が出ていっちゃったよお」
「きっちり十分、待ってたな。みかけによらず律儀なやつ」
 時計を見ながら感心したようにうなずく幽肋を、ぼたんがにらみつける。
「どうしよう、まだ何も話してないのにぃ」
「だけど、話すことなんてなかったんだろ」
「それにしたってさあ」
「心配しなくても大丈夫ですよ。ぼたん」
 幽助ににじりよるぼたんの肩を、蔵馬がポンと叩いた。
「蔵馬」
「来月になったらまた来ます。だから、飛影をしばりつけようだなんて、無理なこと考えないほうがいいですよ」
「……」
「ぼたんが職務に忠実なのはわかりますけどね」
 蔵馬がにっこりと微笑む。
 この笑顔はずるいと思う。いつも、なんだかんたで皆をまるめこんでしまう。
「そうそう。大丈夫だよ、あいつは」
 横から幽助か口添えする。
 このお気楽な言動もやっぱりずるいと思う。いつも、それだけですべてが片付けられてしまっているような気がする。
「それで? 飛影が来なかったらどうするつもり?」
 ぼたんは頬をふくらませ、すねたような口調で幽助に尋ねた。
「その時はその時だ。おれと蔵馬でひっぱってきてやる」
 幽助が胸をどんと叩く。
「一対一だったら危ないけど、おれたちがタッグをくめば完璧だ」
「それは、おもしろそうですね」
 蔵馬と幽助かうなずきあう。
「おう、やつを懲らしめるってんなら、おれも混ぜろよ」
 桑原も目を輝かせている。
 ぼたんは深いため息をついた。
「わかったよ。あんた達を信じる」
「そう、それでいいんだよ。……いやあ、来月が楽しみだなあ」
 幽助はうきうきと楽しそうだ。
 飛影を含めての会合と、蔵馬とタッグを組んでの飛影捕縛――どちらにころんでも幽助はかまわないらしい。
 ぼたんは呆れかえりながらも、蔵馬がいれてくれたコーヒーを飲みはじめた。
 幽肋と桑原はファミコンに熱中している。
 蔵馬はソファにその身をうずめ、雑誌を読んでいる。
 飛影はきっと、どこかの木の上で昼寝でもしているのだろう。


 そうやって、あまり平凡でない彼らの、ごくごく平凡な日曜の午後は、穏やかに過ぎていくのである。

おわり

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