おまえが好きなんだ


キミはボクのカガヤケルホシ


 魅由鬼は森の中を歩いていた。
 なにに怒っているのか、その美しい眉をつりあげ、歩幅も今にも走りだしそうなほど広い。
 魅由鬼はそれでも黙々と歩いていたが、ふいに立ち止まるとくるりと振り返り、昼なお暗い森の闇に向かって大声を張り上げた。
「陰魔鬼! いいかげんに出てきなさいよ!」
 魅由鬼の凄みを利かせた声が樹々の間をこだまする。
 と、突然、道の傍らでなにかがぶつかる音がして、忽然と陰魔鬼がその姿を現わした。
 どうやら、魅由鬼の声に驚いて樹の根元にけつまずき、その拍子にマントが脱げてしまったものらしい。
「気づいて……たのか?」
 陰魔鬼がひきつった笑いを浮かべながら、おずおずと尋ねる。
「あなたの妖気に気づかないわけないでしょ。私をなんだと思ってるの?」
 そんなことだからあんな人間にやられてしまうのだ、と言いかけて魅由鬼は思わず舌打ちをした。あんな人間にやられてしまったのは自分も同じなので、この話題にはふれないほうがいいと気づいたためである。
「それもそうだね」
 ははは、とかわいた笑い声をたてながら、陰魔鬼は座りこんだまま上目使いに魅由鬼をみつめた。
 結構、短気な性格である魅由鬼は、こめかみをピクピクとふるわせながら、腕組みをして陰魔鬼をにらみつけている。
「で? なんの用なの?」
「あの……その……」
「私は、はっきりしない男は大っきらいよ」
「えっと……」
 陰魔鬼は魅由鬼の迫力に気圧されて、まともな言葉さえ発することができないでいる。
「言いたいことがあるんだったら、はっきり言ってよ! 私、急いでるんだから」
 『急いでいる』の一言を聞いた瞬間、陰魔鬼は哀しげに目を伏せた。
「本当に……女になるつもりなのか?」
「?」
「あんな人間の言うことをまにうけて、女になっちゃうのか?」
 陰魔鬼の責めるような口調に、魅由鬼は驚いて目をしばたいた。
「そうよ。もう、決めたの。私は妖術師に本当の女にしてもらうのよ」
 それがどうしたとばかりに肩をそびやかす魅由鬼を、陰魔鬼は恨めしそうな目でみつめている。
 魅由鬼はいらいらして声をあらげた。
「なにか文句あるわけ?」
 魅由鬼の威嚇に陰魔鬼は肩をびくりとふるわせたが、このまま黙っていてもしょうがないと、意を決して、先程から言いそびれている本題をなんとか口にしてみた。
「その……魅由鬼は男として生まれたんだろ? だったら男のままで生きるのが本当じゃないのか?」
「だけど、私の心は女だわ。それなら、心にあわせて体をつくりかえたっていいじゃないの」
「そ……それは……」
 しかし、大変な苦労をして口にした言葉も、魅由鬼にあっけなく一蹴され、陰魔鬼はまたもや口ごもってしまった。
「とにかく、私はもう決めたのよ。陰魔鬼にとやかく言われるすじあいじゃないわ」
「だけど!」
 魅由鬼のすげない言葉に、陰魔鬼はおもわず叫んでしまった。
 とやかく言われるすじあいじゃない。
 そんなことはわかっている。だけど、どうしても……どうしても……。
「なによ。言いたいことがあるんだったら、はっきり言ってみせなさいよ」
「だけど……性転換の術は、大変な苦痛をともなうって……」
「それっくらいなんだっていうのよ」
 魅由鬼が不思議そうに尋ねる。
 多少の痛みなんて、これから先のことを考えれば、いくらでも我慢できる。
 だいたい、痛いのは自分であって陰魔鬼ではないのだから、そんなことを気にすることはないだろうに。
「いやだ」
 陰魔鬼がうめく。
「いやだ! 魅由鬼が痛いおもいをするのはいやだ!」
「……陰魔鬼」
 陰魔鬼はなにを考えたのか、魅由鬼の足にすがりつくと、大声をあげて泣きはじめた。
 魅由鬼はどうしてよいかわからず、陰魔鬼を見下ろしたまま立ち尽くしている。
「やだ……なに、泣いてんのよ」
「いやだ、魅由鬼が痛いのはいやだ。戦いで傷つくのはしかたないけど、だけど、そんなことで……」
「そんなことってなによ。私にとっては重大事よ」
「だけど、いやなんだ」
 いやだ、いやだと、ひたすら繰り返す陰魔鬼は、おもちゃを買ってくれない母親に泣きすがる子供の姿を連想させる。
 魅由鬼は毒気を抜かれ、あっというまに怒る気力を失ってしまった。
 髪をもてあそびため息をつくと、陰魔鬼の前にしゃがみこみ、その顔をじっとみつめる。
 陰魔鬼は間近に現れた魅由鬼の顔をみつめると、反射的にその肩に両腕をまわし、美しいウェーブを描く髪に顔をうずめた。
「お願いだよ、魅由鬼。おれはそのまんまの魅由鬼が好きなんだ。だから……これっきりでいいから、おれの頼みを聞いてくれよ」
 陰魔鬼のくぐもった声が、なぜかくすぐったい。
「あの人間の言うことはきけるのに……おれはおまえの仲間なのに……」
 陰魔鬼はそうつぶやいったっきり、魅由鬼にしがみついたまま動かなくなってしまった。
「しょうがないわねぇ」
 魅由鬼は吐息まじりにつぶやいた。
 陰魔鬼ががばりと顔をあげ、魅由鬼を抱きしめていた両手を離す。
「じゃあ」
 目を輝かせている陰魔鬼をみやると、魅由鬼は乱れた髪をかきあげ、すっと立ち上がった。
「私は……陰魔鬼の仲間?」
 魅由鬼の問いに陰魔鬼がうんうんとうなずく。
「本当に? それだけ?」
 魅由鬼の顔に笑みが浮かぶ。
 咲き誇る薔薇のような艶やかな微笑に、陰魔鬼はどぎまぎしてしまった。
「そ……れは……」
 口ごもり、うつむき、意を決して魅由鬼をみつめる。
「違うよ。魅由鬼が三鬼衆を抜けたって、おれは魅由鬼が好きだよ。魅由鬼が……魅由鬼だから……魅由鬼だけが好きだよ」
 陰魔鬼は一気呵成に言い切ると、その場にへたりこんでしまった。
 これだけの長い台詞を口にするだけでも疲れるのに、その内容ときたら……。
「ふーん」
 魅由鬼はぺろりと紅唇をなめると、うずくまっている陰魔鬼を置いて、すたすたと来た道を戻り始めた。
「魅由鬼」
 陰魔鬼が驚いて後を追いかける。
「おれの頼みを聞いてくれるのか?」
 魅由鬼は駆け寄ってくる陰魔鬼に注意をはらおうともせず、ずんずんと歩いているが、その横顔を見た限りではずいぶんと機嫌がよさそうだ。
「陰魔鬼のさっきの言葉に免じてやめてあげるわ。今日のところはね」
「今日のところって……それじゃあ」
「明日はわからないわよ」
「そんな……」
 おもわず立ち止まってしまった陰魔鬼の耳に、魅由鬼の楽しげな声が届く。
「だからね、陰魔鬼。今のうちから、明日の口説き文句を考えとくといいわ。明日どうするかはそれしだいよ。じゃあ、がんばってね」
 魅由鬼はいつのまにか陰魔鬼の視界から姿を消していた。
 陰魔鬼はがっくりと肩を落とすと、疲れ切った表情でため息をついた。
 自分が口べたなことを知っていて、わざわざそのような条件を出すあたりが魅由鬼らしい。
 それでは明日から毎日、このようなことを続けなくてはいけないのだろうか。考えただけでも気が遠くなる。
 だけど、魅由鬼が魅由鬼のままでいてくれるのならそれもいいだろう。つまるところ自分は、そんな魅由鬼が好きなんだから。
 陰魔鬼はそう結論づけると、魅由鬼の後を追って走りだした。

おわり

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