SNOW PARADISE SIDE・A


 昼の浅い眠りの中で、雪の夢を見ていた。
 夢の中でおれは、白くて冷たくて柔らかいものに埋もれ、背を丸めて眠っていた。
 夢の中のおれは――どんな夢を見ていたんだろう。


 それは、とても寒い冬の日のこと。
 どんよりとした灰色の雲が空を覆い、今にも雪が降り出しそうな気配だったのだが、正午を過ぎたら本当に白いものがはらはらとこぼれ落ちてきた。
「おっ、初雪だな」
 部屋で寝っころがってビデオを見ていた幽助は、降り出した雪に気づくと喜びいさんで立ち上がり、窓を全開にして転げ落ちそうなほど身を乗り出し、舞い散る雪に向かって手を伸ばした。
 雪の冷たい感触が心地よくて、幽助は無心に雪をすくっていたが、ふいにニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、部屋のどまん中でクッションに身を埋めて眠っている飛影に近づき、その首筋に小さな雪のかけらをそっと押しつけた。
 気持ちよさそうな表情で寝入っていた飛影は、雪の冷たさと濡れた感触にビクリと首をすくめると、その一瞬後にガバリと上体を起こし、大きな目をパチクリさせる。
「目ぇ、醒めただろ」
 わけがわからないといった表情で首筋に手をやった飛影は、目の前で肩をふるわせて笑っている幽助を見て、おおかたの事情を察すると、むっとした表情を浮かべた。
「これはなんの真似だ?」
「初雪のおすそわけ」
 飛影の不機嫌そうな声に、ことさらに機嫌よさそうに幽助が答える。
「初雪?」
「ああ、今、降り出したばっかだぜ」
「…………」
 言われて窓の外に視線を転じた飛影は、わずかに目をふせると悲しそうなせつなそうな苦しそうな……とても複雑な表情を見せた。
 理由はわからないが、いずれにしても負の感情が今の飛影を支配していることぐらいのことは幽助にもわかる。
「飛影?」
 心配そうに声をかけられて、ふと我にかえった飛影は、顔から表情を消すと、またクッションに上体をあずけた。
「おれは寝る。今度は絶対に起こすなよ」
 そう言って目を閉じた飛影だったが、先程までのあどけない寝顔が、どこかつらそうなそれに変化してしまったように感じられて、幽助は胸が痛くなった。
「すまねぇ……雪が嫌いだとは思わなかったんだ」
 しょんぼりとしてつぶやいた幽助から顔を隠すように、飛影が寝返りをうち、背を向ける。
「別に……雪が嫌いなわけじゃない」
 くぐもった声がボソリと答えた。
「じゃあ、なにが気に入らなかったんだ?」
「……気に入るとか、気に入らないとかいう問題でもない」
「じゃあ……なんで……」
「……」
「わかった。言いたくねぇならそれでいいよ」
 幽助は寂しそうにそう言うと、飛影のそばから離れてしまった。
 しばらくして、シャッというカーテンを閉める音が耳に届き――飛影は目を閉じたまま、小さく舌打ちをしたのだった。


 続く夢の中でも、おれは雪の中で眠っていた。
 重く重く降り積もる雪が、いつかおれを隠してしまう。
 いつかおれを埋めてしまう。
 いつかおれを……殺してしまう。


 二時間ほどして再び目を醒ました飛影が、漠然とした不安にかられて部屋中を見渡すと、そこはガランとしたただの空間になっていた。
「幽助?」
 部屋の主人の名を何気なくつぶやいて、飛影はふいに顔をしかめた。
 一人っきりの部屋で、誰かの名前をつぶやくということが、すごく恥ずかしいことのように思えたのだ。
 それにしても、ここはこんなに寒い感じのする部屋だっただろうか……と考え、飛影はわずかに身をすくめた。
 雪が降っていたことを思い出し、窓の方に視線を向けると、それはブルーの厚手のカーテンでしっかりと覆われていて――その理由を知っている飛影は、小さなため息をつく。
 幽助はいったい、自分のあの言動をどのように解釈したのだろうか。まさか今さら、夢見が悪くて不機嫌になったとは言えない。もっとも、雪についてはいい記憶がないから、雪が嫌い、というのも間違いではないのだが……。
 飛影はそんなことを考えながら立ち上がり、カーテンをざっと開けた。
 窓の外ではコンクリートでできあがった灰色の町と、冬の低い灰色の空が、無数の白い結晶でつながれ、いつもとはまったく違うのに、不思議なほど違和感のない風景が広がっている。
 氷河の国に降っていた雪はすべてを呑み込むように感じられたけれど、この町に降る雪はすべてを包み込むような感じがする。
 埋めるためにではなく、殺すためにでもなく、町を飾るために降っている雪。この町の雪は住人ではなく客人なのだ。
 こういう雪が降る場所でなら、自分も生きていけるかもしれない。
 飛影はわけもなく大きく息を吐き、それが白い湯気となり、冬空にとけていくさまをながめていたが、ふと気配を感じて地上に視線を落とした。
「幽助?」
 マンションとマンションに挟まれた小さな空き地で、幽助が雪空の下、まだ積もってもいない雪を蹴散らしながら、ノラ犬とじゃれあっている。
 頭のてっぺんと肩をうっすらと白く染めている幽助は、なんだかポカポカと暖かそうで……飛影はおもわず苦笑してしまった。
 この部屋がいつも暖かかったのは、どうやら幽助がいたせいだったらしい。
「ずいぶんと体温が高そうなやつだからな」
 飛影がひとりごちると、ふいに幽助がこちらを見上げた。
「飛影! 起きたのか?」
 幽助がむちゃくちゃうれしそうに声を張り上げる。
 そのタイミングがあまりにも絶妙だったので、飛影は一瞬、ひとりごとを聞かれてしまったのかと思い、かすかに顔を朱に染めたが、すぐにそんなことはあり得ない、と自分を説得し、なんとか平静を取り戻した。
「大声で呼ぶな。恥ずかしいだろ」
 窓枠を乗り越えて飛び降り、ストッと幽助の脇に着地した飛影が苦情をもらす。
「出てくるとは思わなかった……」
 幽助がとまどいながらつぶやいたその理由が、とっさにはわからなかった飛影だったが、すぐに先ほどのやりとりを思い出し、おもわず苦笑を浮かべた。
 自分はあの時、そんなに悲愴な顔をしていたのだろうか……。
「おれは雪が嫌いなわけじゃない」
「だけど……」
「おれは寒いのが嫌いなんだ」
 胸をはってそんなことを飛影が言い、幽助はあっけにとられ――やがて、ゲラゲラと笑い出した。
「なぁに、ガキみてぇなこと言ってんだよ」
「たかだか雪が降ってきたぐらいで、はしゃぎまわるおまえのほうが、よっぽどガキっぽいぞ」
 反論され、幽助がちょっと顔をしかめる。
「寒いのがイヤなら、部屋の中にいればいいだろ」
「……部屋の中より、ここの方が暖かい」
「へっ?」
 飛影に言われ、幽助は首をかしげた。
「マジかよ。暖房がこわれたのかなぁ」
 幽助の言葉に、飛影がおもわずプッと吹き出す。
 暖房はきいていないけれど窓もカーテンもきっちり閉めている室内と、雪が降っている吹きっさらしの屋外のどちらが気温が高いかなんて、考えなくてもわかりそうなものだが、幽助のことだからきっと本気でそう考えているのだろうと思ったら、笑いがこみあげてきて止めることができなかった。
「寒いとこで寝てて、風邪でもひいたんじゃねぇのか?」
 そんな意外なほどの飛影の上機嫌ぶりに驚いた幽助が、真剣な表情で飛影の両頬を手で包み込む。
 雪遊びをしていたその両手はひんやりとしていたけれど、飛影にはそれがとても熱く感じられた。
「おれはそんなにヤワじゃない」
 飛影は幽助の手首をつかみ、頬を包む指先をひきはがしたが、その瞳が心なし名残惜しげな光を放っていた。
 雪に埋もれた故郷に捨てられ、雪に殺される夢ばかり見てきたが、それは幽助の体温で簡単に融けてしまうものなのだとわかってしまったから、もう二度と雪の中で凍えてしまうことはないだろう。
 そんなことを考えて、飛影はまたひとしきり苦笑したが、幽助はただわけもわからず首をかしげるばかりだった。
 空を見上げると、雪が自分だけに向かって降ってくるように感じられる。
 目を閉じると、かたわらに立つ幽助の『気』が、世界中のすべてに満ちあふれているように感じられる。
 そんな錯覚もたまにはおもしろいだろう。
 飛影はそう思ったけれど、もちろんそれを幽助に教えたりはしなかった。


 初めて雪を美しいと感じた日の夜、雪の夢を見た。
 雪に埋もれ眠っているおれを発見した幽助が、「そんなとこで寝てると風邪ひくぞ!」と怒鳴りながら、雪を蹴散らし駆け寄ってきた。
 夢の中でも幽助は騒がしいが――なぜかそれがとてもうれしかった。

おわり

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