SNOW PARADISE SIDE・B


 それは、初雪が降ったある日のこと。
 午前十一時頃、次回の魔界トーナメントの資料ビデオの配達役をおしつけられ浦飯家を訪れた飛影は、めずらしく一日中、幽助の前から姿を消そうとはせず、そのまま夜になっても帰る気配を見せなかった。
 いつも早々に魔界に戻ってしまう飛影を、たまにはゆっくりしてきゃあいいのに、と心の中でぼやきながら見送るのが常の幽助だが、彼が黙ったまま自分の部屋から立ち去ろうとしないので、かえって落ち着かない気分でチラチラと視線を投げている。
 正午過ぎに降り始めた初雪はいまだ降り止まず、町の灯りにその白い姿を浮かび上がらせ、部屋の中央に陣取りクッションを三つも独占している飛影は、無言のままあきる様子もなくその光景をみつめていた。
「メシ、食うか?」
 テレビを見ながらも、飛影のことが気になってしかたがなかった幽助が、意を決しておそるおそる声をかける。
 実は、下手なことを言ったら、せっかくそばにいてくれている飛影がそそくさと魔界に戻ってしまいそうで、なんとなく声をかけそびれていたのだ。
「…………」
 しかし、飛影は質問を聞いているのかいないのかも不明なほど無反応で、幽助はむっとした表情を浮かべたが、しばしの思案の後、黙って立ち上がり、部屋を出ていった。
 パタンという音がした途端に、飛影の頭がわずかに動き、視線がドアの方に流れ、瞳にとまどうような表情が映ったが、幽助にはそのようなこと知る術もない。
 十分程して、幽助は部屋に戻ってくるなり、湯気をたてた二杯のラーメンがのっかった盆を飛影のそばに置くと、その場にどっかと腰をおろし、黙ったままそれを食べ始めた。
 飛影もそれにならって、やはり黙ったままラーメンを食べ始め、幽助はその様子を横目でみやりながら、口の端に苦笑を浮かべた。
 なんだか、プライドの高い猫を部屋に無理やりひっぱりこんだような気分だ。
 こびも見せないし、なつきもしないくせに、態度がでかい。ちょっかいを出す時には、鋭い爪でひっかかれるぐらいのことは覚悟しておくべきだろう。
「仕事はどうしたんだ?」
 飛影がラーメンに視線を落としたまま尋ねる。
 実に三時間ぶりの飛影の発言に、幽助が不思議なほどやさしい笑みを浮かべた。
「せっかくだから、休みだ。仕入もサボっちまったしな。それにこの雪じゃ、客も来ねぇだろ」
「そうか」
 なにが『せっかく』なのかを幽助は語らなかったし、飛影もそこのところを追及しようとはしなかったが、なんとはなしに二人の表情がやわらかくなった。
「ラーメン、うまいか?」
 本来の賑やかさをようやく取り戻した幽助が、飛影の顔をのぞきこむようにして問いかけてくるが、その口調から察するに味には自信があるらしい。
「まずくはない」
「だったら、うまいって言えよ」
 幽助が苦笑いをしながら、飛影の耳をピッとひっぱり、飛影はその手をピシャッとはたいた。
「うまくない!」
 飛影がカラになった丼を置くと同時にきっぱりと言い放ち、幽助がおもいっきり不機嫌そうな顔をする。
「素直じゃねぇな」
「おれは正直に言っている」
「汁まできれーに飲み干しといて、まずいってこたぁねぇだろ」
「気を使ってきれいに食べてやったんだ。ありがたく思え」
「ああ、そうかい! そりゃあ、ありがとうよ!」
 幽助が口をとがらせながらそっぽを向き、飛影はわずかにひるんだが、すぐにポーカーフェイスを取り戻すと、やはりぷいとそっぽを向いてしまう。
 二人はそのまま視線を正反対の方向へ向け合っていたのだが、先におれたのはやはり幽助の方だった。
「あのさ……」
 こっちを向け、とばかりに後ろ髪をチョンチョンとひっぱりながら、幽助が五センチばかりすり寄ってきたが、飛影はわざと振り返らない。
「なんだ?」
「さっきから、外ばっか見てるけど、雪が好きなのか?」
「別に」
「でも嫌いではないんだよな」
「そうだな」
「で、おれのラーメンもまずくはないわけだ」
「……なにが言いたい」
「べ~つにぃ」
 幽助は人の悪い笑みを浮かべながら、飛影の肩にポンと手をつき、ヒョイと立ち上がる。
「いつでも好きな時に、まずくないラーメンを食いに来いよ」
 そう言い置いて、幽助は盆を持って部屋から出ていき、しばらくして今度は毛布を抱えて戻ってきた。
「一応、毛布だけ持ってきたけど、どうする?」
 毛布を飛影の頭上に投下した幽助がそう尋ね、彼はしばしの運動の後にようやく顔を表に出し、ぶすっとした表情を見せた。
「どうするって?」
「ちょっと狭くてもがまんできるんなら、おれのベッドで一緒に寝ればいいし、それがイヤならジャンケンで床に寝るヤツを決めようぜ。おれんち、予備のふとんがねぇし、おふくろのベッドは空いてるけど夜中に帰ってこられたら困るから使えねぇんだ」
 幽助はすでに飛影が泊まり込むものとして、勝手に話をすすめてしまっている。
 飛影は不愉快そうに眉をひそめたが、何も言わずに毛布をかぶり、ゴロリと横になってしまった。
「一緒に寝るのがイヤなら、ジャンケンにしようぜ」
 その行動に驚いた幽助が、飛影の肩をゆさぶったので、彼はうるさげに手をはねのけ、毛布を頭のてっぺんまでひきあげてしまった。
「おれはここでいい」
「けど、ベッドの方がいいだろ」
「やわらかすぎて眠りにくい」
「……そっか……」
 幽助はちょっと困ったような顔で立ち上がると、窓に近寄りカーテンをシャッと閉めた。
「閉めるな」
 唐突な指示が飛び込んできて、幽助がカーテンのはしをつかんだまま振り返る。
「へっ?」
「せっかくだから開けとけ」
 毛布にもぐったまま顔も出そうとしない飛影の注文に、幽助は微笑を浮かべ、カーテンを開けなおした。
「……そうだな。せっかくだもんな」
 なにが『せっかく』なのかを飛影は言わないけれど、その気持ちが自分の中にすべりこんできたような感じがして、すっごく幸せな気分だった。
 幽助はそのまま灯りを消し、ベッドにもぐりこんだが、いつもは起きている時間なので目がさえて眠れない。
 それに、自分がベッドで飛影が床、というのが、どうにも落ち着かない感じがするし、普段は人間界と魔界という超遠距離を隔てて生活しているのに、二人の間にあるたかだか二メートルという距離がすごく遠く感じられる。
 大体、そこにいるのは飛影で、そこから感じられるのは飛影の妖気だけれど、実際に目に見えるのは、ただの毛布のかたまり、というのがなんだか気に入らないのだ。
 幽助はしきりに寝返りをうちながら、しばらくベッドの中でうなっていたが、ふいにガバリと起き上がると、ベッドから降りて枕と毛布を抱え込んだ。
「せっかくだもんな」
 幽助は眠っている飛影に向かっていいわけをすると、その横に寝ころがり、枕を頭の下に敷き、毛布をかぶった。
 ふと外に視線を向ければ、雪が街灯の光を受けほのかにオレンジ色に染まり、冷たいはずのそれがひどく暖かいものに見えて――飛影が一日中、みつめ続けていたものの正体がなんとなくわかったような気がした。
 外は雪が降っているけれど、ここはこんなにも暖かい。
 こんな場所を知っているから――この場所に絶対に帰ってこれると信じているから――どんな寒い場所にでも飛び出していける。
 幽助はそうっと、飛影がかぶっている毛布をつまみあげ、その横顔をほのかな光のもとにさらした。
 飛影の寝顔はとても穏やかであどけなくて……子守唄を聴かせてやりたい気分だったが、そんなことをしたら飛影がはね起きて、怒鳴り散らしながら部屋を飛び出していってしまうかもしれないので断念した。
 今日はたくさんの『特別』があったけれど、考えてみれば以前は飛影がそこに存在すること自体が『特別』だった。
 少しづつ『初めて』だとか『特別』だとかを重ねていって、いつか『当り前』だとか『日常』だとかになる。
 飛影との距離を少しづつ縮めていくこの時間がうれしくてしかたないから、いつまでもこんな関係を続けたいのだ。
 そしていつか、『特別』なんて言葉がいらなくなるぐらい、飛影の『特別』になりたいのだが、たとえそうなっても、自分にとって飛影は『特別』であり続けるだろう。
 幽助は飛影の寝顔をみつめ続け、やがて静かに眠りにおちる。
 窓からさしこむ光は寄り添い眠る二人の寝顔を照らし、降る雪はそこに微妙な模様を描く。
 初雪が降ったその日は、もしかしたら、二人にとって一番、暖かい日だったのかもしれない。

おわり

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