この魂のたどりつくところ


君の魂にであうための旅にでる


Chapter1 反逆者の憂鬱

誰が私を裁いてくれるのだろう
私は誰に裁いて欲しいのだろう

 はかなげな瞳が、ひどく印象的な少年だった。
 整った容貌や、強大な霊力よりも、そちらの方が気になった。
 人見知りをする性質のようで、最初はぽつりぽつりとしか話してくれなかったが、ふとしたきっかけで笑ってくれた時、おそろしく無邪気で幼い笑みを見せてくれた。
 瞳がはかない少年だった。
 笑みが無邪気な少年だった。
 他者にすがることを知らない孤独な少年だった。
 彼を壊した者は、誰だったのだろう。


 仙水による亜空間結界の破壊未遂騒動がとりあえず一段落して、霊界は表面上は落ち着きを取り戻していた。
 エンマ大王の許可が出ていたとはいえ、結果的に魔封環に貯めた霊気を無駄に使い果たし、霊界特別防衛隊の任務を妨害するという暴挙に及び、あげくの果てに浦飯幽助という魔族と共に魔界に渡ったコエンマに対して、処罰は下されず、それに対する不満は霊界上層部にあふれていたが、公然と口にする者は少なかった。
 それほどにエンマ大王の威光は絶大なのだ。
 それでも、その一件以降、コエンマに振り分けられる仕事は極端に少なくなった。
 仕事を取り上げることで反省を促すつもりなのか、仕事を任せるだけの信頼が失われてしまったのか、それとも別の理由があるのか、コエンマは父王の真意を量りかねていたが、それでも彼は冷静に少ない仕事を淡々とこなしている。
 そんなある日、資料室で書類を読みふけっていたコエンマの元にあやめが現れた。
「やはり、ここにいらしたんですか」
 コエンマの姿が見当たらない時は資料室を探せばたいていみつけられる、というのはぼたんとあやめだけが知る極秘事項だ。
 なぜ、そんなことが極秘事項になっているのかと言えば、コエンマに堅く口止めされているからだ。
 コエンマいわく、せっかくの一人っきりになれるいい隠れ場所を皆に知られたら意味がない、ということで、その言い分は納得できるし、自分たちが探し出せる場所にいるのなら別に困ることはないので、ぼたんとあやめはきちんとその言いつけを守っている。
「あんまり暇なんでな。暇つぶしのネタを探していた」
 コエンマの顔は明るかったが、反してあやめの顔は暗くなった。
 つい最近まで、忙しい忙しい、が口癖だったコエンマが、暇をもてあましているというのは、あやめにとってつらい事実だ。
「コエンマ様……」
「そんな顔をするな。ずっと忙しかったからな。たまにはのんびりするのもいいだろう」
「そうですね」
「ところで、ワシに何か用か?」
「特防隊の舜潤隊長がいらっしゃっています。コエンマ様に至急の用件がおありだそうです」
「舜潤が?」
 コエンマは顔をしかめる。
 あの一件により、特防隊の前隊長の大竹は辞任し、他の隊員たちもコエンマに対して強い不信感と不快感を抱いた。
 おそらくは顔をあわせるのも不愉快だろうに、わざわざ何の用があって訪ねてきたのか。
 コエンマはしばしの沈黙のあとで、軽くうなずいた。
「会わないわけにもいかんしな」


 執務室に戻ってきたコエンマを、舜潤は敬礼で出迎えた。
「久しぶりだな」
「あの一件以来です」
「隊長になったのだったな。……ワシが昇進祝いを言うわけにはいかんが」
 前隊長はコエンマが失脚させたようなものだ。その結果、隊長となった者に、当の張本人が、おめでとう、と言うのは、さすがにはばかられる。
「まったくです」
 二人の間に流れる空気の冷たさは無視して、コエンマは自分の椅子に座った。
「それで? ワシに何か?」
「これから特防隊全員で人間界に向かいます。それに、コエンマ様もご同行いただきたいのですが」
「……親父の命令か?」
「はい」
 コエンマは眉をしかめる。現在、険悪な仲になっている自分と特防隊を一緒に行動させようとする、父親の意図がまったく読めなかった。
「ワシを妖怪と戦わせようというのか?」
「今回の任務は、妖怪討伐ではありません」
「では、何をやるんだ?」
「浦飯幽助、蔵馬、飛影の三名を、魔界へ送り届けるために、亜空間トンネルをつくります」
 舜潤の言葉に、コエンマが顔色をかえた。
「どういうことだ?」
「魔界から霊界に対して、浦飯幽助、蔵馬、飛影の三名を引き取りたいので、そのために亜空間結界を一時的に解いて欲しいとの打診があり、エンマ大王様はそれを受け入れました」
「なんだと……」
「浦飯幽助は雷禅、蔵馬は黄泉、飛影は躯の国に身を寄せるそうです」
「本人はどう言っているんだ?」
「いずれも、本人との間で合意はなされているそうです。問題はありません」
 激しく動揺しながらも、コエンマの理性は冷静に状況を分析し、正解を導き出した。
 予想だにしなかった事態だが、あり得ない話ではない。
「要するに、あのやっかいな連中を、魔界に追い払う。霊界としては、騒動のたねが消える。魔界のリーダーたちはそれぞれに新戦力を手に入れる。あの連中は魔界で好きなだけ暴れられる。……三方がめでたくおさまる見事な策だな」
「私はエンマ大王様のご決定に口出しできる立場にはありません」
「……それに関しては、ワシも立場は同じだ」
 コエンマは言い捨てると、考え込んだ。
 亜空間結界をこじ開けて、元通りにするだけであれば、特防隊だけで十分ことたりる。わざわざ自分が同行しなければならない理由はどこにもない。
 エンマ大王はいったい何を考えているのか……。
「これは、ワシへのいやがらせか?」
「さぁ」
 舜潤が肩をすくめる。
 ようやく無表情が崩れ、彼独特の皮肉気な笑みがこぼれた。
 コエンマは無言のまま腕組みをしていたが、しばらくしてしかたなくうなずいた。
 その裏にどんな意図がひそんでいようとも、選択の余地など、最初から与えられてはいないのだ。


 幽助は友達の家に遊びに行くかのような気軽さで、魔界に旅立っていった。
 そのお気楽さかげんに腹が立ったので、おもわず嫌みを言ってしまったら、少し困った顔をしていた。
 やはり、この任務にコエンマが同行しても、やるべきことは何もなく、彼はただ黙って見守っていただけだった。
 幽助に対して、何かをしてやれる、と思っていた自分がどこかにいた。
 どうして、そう思ったのだろう。
 現実には、自分が幽助にしてやれることなど何もなく、彼は一人で道を選び、去っていったのだ。
 コエンマに一言の断りも相談もなく、幽助は自分の道を定め前進した。
 振り返ってみれば、黒呼も仙水もそうだった。
 自分は常に取り残される者だ。
 薄情者ばかりだと泣き言を言いながら、後ろ姿を見送ることしかできない。
 物思いに沈むコエンマを、幻海はお茶に誘い、特防隊の隊員たちは霊界に戻っていった。
「いろいろと大変なのかい?」
 寺の縁側に腰掛け、幽助が姿を消した地点をボウッとながめているコエンマに、幻海が話しかけながら、湯呑みを差し出す。
「いや。仕事が楽そうでいいと、皆がうらやましがってくれる」
 幻海が尋ねているのはそういうことではないとわかっていて、わざとコエンマは答えをはぐらかす。
 実際、うらやましいと言っている声は聞こえてくる。もちろん、そこに悪意が含まれていることに、気づけないコエンマではなかった。
「あんたも大変だねぇ」
 幻海はしみじみとつぶやき、お茶受けの菓子を口に運んだ。
「いろいろと背負ってしまったものがあってな」
「あたしはもう何も背負っていないよ」
「……そうか」
「気楽なもんだよ」
 そんなことを言っていても、横顔がかすかにさびしげだ。
 幻海が何も背負っていないわけはない。重荷を担いで歩き続けてきたこの女性は、荷を思い出にすりかえただけだ。体は軽くなっても、心は重さを増すばかりだろう。
「あんたは大丈夫だ」
「なにがだ?」
「捨てられるものと捨てられないものは、きちんとわけられるだろう?」
「…………」
「なにもかも背負って歩けなくなる前に、捨てられるものは捨てる……それだけの覚悟はもうできているんだろう?」
「……ああ」
 何も言わなくても、幻海はどうやらすべてお見通しのようだ。
 コエンマは苦笑した。
 確かに決意はかたまっている。あとは行動するだけだ。
「残念ながら、できてしまったようだ。今日のがとどめ……」
 言いかけて、コエンマは口ごもってしまった。
 そして、額に右手を置き、何事かを考え込んでいる。
「どうした?」
「…………いやがらせではないとしたら?」
 コエンマがつぶやく。それは、幻海でなければ、聞き逃していたに違いない、とても小さなつぶやきだった。
 幻海はいぶかしげにそんなコエンマをながめていたが、言葉をかけようとはしなかった。
 一方、コエンマは幻海の存在を忘れ去ったかのように、地面をにらみつけながら、何かを真剣に検討している様子だ。
「……そういうことなのか?」
 コエンマの意識がようやく外側に向いた。
「どうかしたのかい?」
「いや……重荷をおろしたいのは、誰も同じかもしれんと思っただけだ」
「まぁ、そう簡単におろせないから、重荷というんだろうがね」
「まったくだ」
 コエンマはつぶやきながら、隣に座る幻海に視線を向けた。
 時は流れ、好戦的な目をぎらつかせながら、血にまみれて妖怪たちと戦っていた少女は、穏やかな目で茶をすする老婆になった。
 人間たちの時間は、自分たちのそれと比べて、あまりにも速く通り過ぎてしまうが、その魂が放つ輝きが損なわれることはない。
 それをみつめ続けることが、嬉しいことなのか、さびしいことなのかは、わからないけれど、それが、何よりも心を揺さぶる美しいものであることは確かだった。

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