「どうした? 我を喰わぬのか?」
女の瞳には惑いも脅えもない。死を呑み込み続けた瞳は、鏡のように、ただ眼前の魔物を映すだけだ。
「喰うのはやめだ」
魔物は女の黒髪に指を伸ばす。
「だが、おまえは欲しい」
鋭くとがった爪が女のうなじをすべっていく。
ほんの少し、力を入れれば、女は紅い血を吹き上げ絶命するだろう。
しかし、女は眉を動かすことさえしなかった。
「それは、餌としての我ではなく、女としての我が欲しいということか?」
女の声は静かだった。
まるで他人事のように。
「簡単に言やあ、おまえを抱きたいってことだ。いいだろう?」
「我のゆるしなど得ずとも、力づくで奪えばいい」
「そういうわけにはいかねえ。おまえにたのしんでもらえなきゃ、おれもたのしめねぇ」
女の表情がようやく動いた。
不思議そうな顔で魔物をみつめる。
「おまえ、男と寝たことはあるか?」
問われて、女は笑った。
かすかに声をたてて。
「死人を喰らう女に欲情するは、人肉を喰らう魔物ぐらいなものだ」
自嘲とも皮肉ともとれる言葉に、魔物は満足気にうなずいた。
「おまえほどの女に、そこらへんのつまらねぇ男どもが手を出せるわけがねぇな」
「これまでに、人間の女をどれほど犯した?」
「喰いはしたが、犯したことはねえ」
「喰われることと犯されること、どちらが残酷なのだろうな」
「そりゃ、ものの考え方だと思うがな……おまえなら、どちらを選ぶ?」
「我は何も選ばぬ」
「選ぶのはおれか?」
「応えるは我だ」
「……そうなんだよな……」
魔物はあぐらをかき、腕組みをして、真剣に何事かを考え込んでいる。
子供のような無邪気な様子だが、放つ巨大な妖気はいささかも変わらない。
「こういうのって初めてで、勝手がわからねぇんだよな……」
女を知らぬわけではあるまいに、魔物は確かに途方に暮れていた。
「喰うも犯すもせぬのなら、早々に立ち去れ」
「おまえを口説き落とすまではできねぇな」
「我が拒み続けたら如何にする」
「おまえが応えるまでねばるさ。時間はくさるほど待ってるんだ」
「時を待ったあげくに、我が老婆となったら如何にする」
「かまわねぇ。やったことねぇんで、保証はできねぇが、おれさえ元気でいりゃ、ちゃんと二人ともたのしめるんじゃねぇのか?」
魔物の言葉に、女は黒髪を揺らして笑った。
かすかに紅みをおびてきたうなじが、魔物をさらに昂揚させる。
「なれば、言を尽くし、我を口説いてみるがいい」
女の声と瞳が微妙に色を変え、魔物を煽った。
夜は長く、人の生は短く、一夜の想いは永遠を産み落とす。
|