雪 花


 この国ではいつも雪が降っている。
 もちろん、氷河の国とて、常に雪が降っているわけではないが、氷女たちの心の中には、常に氷雪が吹き荒れているような気がする。
 現実には、現在、氷河の国は晴れていて、この国ではめったに見ることができない薄い青の空を、氷菜は見上げていた。
「天気がいいから外にいたいのはわかるけど、あまり無理をするとお腹の子に障るわよ」
 泪が声をかけてきても、氷菜はみじろぎひとつしようとしない。
 心ここにあらずといった様子に、泪は眉をひそめながら、自分が身につけていたショールを氷菜の肩にかけたが、それでも彼女は視線ひとつ動かさなかった。
「氷菜?」
「……ありがとう」
 ふいに、氷菜がショールに手を置き、泪に向かって微笑む。
「もう部屋に戻りましょう。立ちっぱなしはからだに悪いわ」
 なぜか、空を見せていてはいけないような気がして、泪は氷菜の手を引き家に戻ろうとしたが、彼女は動こうとしなかった。
「泪は気にしすぎよ」
 氷菜はそう言って、クスクスと笑う。泪はむっとして頬をふくらませた。
「氷菜が気にしなさすぎなのよ」
「そうかしら」
「まだ産み月までには間があるのに、お腹が大きくなりすぎてるって、皆が言っているわ。何か異常があるのかもしれない。大事にしないと」
「異常ねえ」
「もちろん、気にすることはないと思うけど、用心するにこしたことはないわ」
 妊婦に不安を与えてしまってはと、泪は言葉をやわらげたが、氷菜は気にする様子もなく、再び、空に視線を戻す。
「泪」
「なあに?」
「この子を愛してくれる?」
 氷菜は天を仰いだまま、ふくらんだ腹にそっと両手をあてる。
「あたりまえじゃない。氷菜の子供よ」
「何があっても……私を愛してくれる?」
 氷菜の視線がゆっくりと動く。自分をみつめるそのまなざしがひどく悲しげで、泪はおもわず息をのんでしまった。
「貴女は私の一番、大事な人よ。何があっても…………」
 泪は答えると、氷菜の首に両腕をまわした。
 氷菜が何を考えているのかはわからないが、自分がここにいることを、彼女に確かめさせなくてはいけないと感じた。
「氷女でも、抱き合えばちゃんと温かいのよね」
 氷菜がポツンとつぶやく。
「ねぇ、泪。私のことを嫌ってくれていいわ。その分、私の子供を愛してあげてね」
「氷菜も氷菜の子供も愛してるわ。当然でしょう」
「私はきっと、貴女をもっとも苦しめる女になるわ」
「……それはどういうこと?」
「貴女が私を愛してくれる限り、貴女は私のために苦しむの」
「そんなことないわ。貴女はいつも私に幸せをくれるじゃない」
「私だってそうよ。でも、私はそれだけじゃダメなの」
 氷菜は首にからみつく泪の腕をほどくと、ニッコリと笑った。
 今までに見せたことのない、どこか毒を含んだ笑みだった。
「私を憎んで、恨んで、ののしって欲しいわ」
 氷菜は笑っている。
 笑いながら、謎めいた言葉を投げかけ、困惑する泪をみつめ、悦んでいる。
「貴女はきっと、私のために死ねるけど、私は貴女のために死ねないの。私ってひどい女よね」
「氷菜!」
 どこか狂的な色を帯びてきた氷菜の言葉に、泪はたまらず大声をあげる。
 何かが壊れているような気がした。氷菜のどこかが……。
 氷菜は空の下でくるくると舞う。
 ショールは風をはらんで広がり、その姿は雪上に咲いた花のようでもあった。
「氷菜! やめて! もうやめて!」
 絶叫に、氷菜はピタリと動きを止め、泪をみつめ、穏やかに微笑んだ。
「冗談よ。泪」
「氷菜……」
「ちょっとふざけてみただけなの。そんなに驚かないで」
 氷菜が手をさしだしてくる。
 泪はようやく、自分が雪にひざをついていることに気がつき、あわてて立ち上がった。
「驚かせないで……」
 泪は言ったが、氷菜の言うことを頭から信じたわけではなかった。
 それほどに、氷菜の芝居は真にせまっていた。
「家に入りましょう」
 氷菜は泪に声をかけ、家に向かって歩き出した。
 その細い肩にのしかかっているものを……泪はみつけ出せずにいる。  

おわり

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