その冬を、幽助は人間界で過ごしていた。
のんびりと、実に平和的に、ラーメン屋台の兄ちゃんとして、湯気と愚痴と笑い声に包まれ、寒い冬の夜をぬくぬくと過ごしていた。
そんな、ささやかで平穏な日々を過ごしていた幽助に、事件の発生を告げたのは、寝込みを襲うけたたましい電子音だった。
「あんだよ、こんな朝っぱらから……」
朝っぱらと言っても、午前十時だが、深夜営業をしている幽助にとっては、立派な早朝である。
幽助は、タイマーでもかけ違えたかと、目覚まし時計をガンガンとたたいたが、音は一向にやまない。
おかしいと思ってよくよく耳を澄ましてみると、音の発信源は押し入れのようだった。
何か押し込んでいたかと、押し入れの中を掘り起こしてみると、なんとも懐かしいものを発見してしまった。
「まだ生きてたのか」
感心しながら幽助が押し入れから引きずり出したのは、ずいぶんと前に霊界から託されたアタッシェケースである。
霊界探偵を辞めた後も、返せと言われなかったので、そのまま忘れ去っていた。
コエンマも忘れていたのか、あえてそのままにしているのかはわからないが。
「久しぶりだな。幽助」
アタッシェケースを開くと、内蔵されたディスプレイに、コエンマがどアップで映っていた。
「ちゃんと働いとるか?」
「気持ちよく寝てるとこ、起こすんじゃねぇよ」
「それは悪いことをした」
幽助の抗議に、まったく申し訳ないと思ってない顔でコエンマが応じる。
「それにしたって、なんでまたこんなもんで……」
「たまには目先をかえるのもいいだろう?」
自分の予想通りに幽助が反応してくれたので、コエンマはかなり上機嫌だ。
「それで何の用だよ。くだんねぇ話だったら、こいつぶっ壊すぞ」
「実はちょっと頼まれて欲しいことがあるんだが」
「なんだ?」
「人間界にいる妖怪を保護して欲しい。今、特防隊は出払っていてな。連中の帰りを待っていてもいいんだが、できればはやく片づけたい」
「強ぇヤツなのか?」
「わからない。資料がまったくないんでな」
「犯罪者じゃねぇのか?」
「今のところは違う。……母親から保護願いが出ている迷子、と言ったところだな」
「迷子? なんだよ、そりゃ」
「少しばかり訳ありでな……」
そこまで言って、コエンマは口を閉ざし、顔をしかめた。
その視線が、自分を通り越していることに気づいた幽助が振り返ると、窓際に黒い影が立っている。
「いつ来たんだ?」
幽助の問いには応えず、飛影はゆっくりとそのかたわらへ歩み寄り、ディスプレイの中のコエンマをにらみつけた。
「遠慮せず、話を続けろ」
「……いや、こちらは急ぎではない。そちらの用件を先にすませるがいい」
そう言うコエンマの声が、こころなし緊張感を帯びている。
「用件?」
飛影は薄く笑うと、どこからか取り出したビデオテープを、あぐらをかいている幽助のふところに放りこんだ。
「躯からだ」
「おう」
必要最低限の会話を済ませ、飛影がコエンマを再びにらみつける。
「さて、これで済んだ。そちらの話をすすめろ」
「…………」
「おれがいては、続けられないか?」
コエンマは気むずかしげな顔で腕組みをする。飛影はそんなコエンマから視線をはずさない。
さすがに幽助も二人の雰囲気がおかしいことに気がついた。
「なんでいきなりケンカおっぱじめてんだよ」
「喧嘩などしていない」
「じゃあなんで、にらみあってんだよ」
「おれは、やつがおれと目があった途端に、やばいとこを見られた、って顔をした理由を知りたいだけだ」
飛影の指摘にコエンマがため息をつく。
「ワシもまだまだ修行が足らんな」
コエンマはあっさりと敗北を認め、うなずいた。
いくら不意をつかれたとはいえ、こんなに簡単に表情を読まれるようでは、霊界トップの立場がない。
「おまえを巻き込みたくなかったんだが」
「おれが巻き込まれるかどうかは、おれが決める。ひとまず、おれを巻き込みたくなかった理由だけ聞かせろ」
「仕方ない」
つぶやいて、軽く苦笑すると、コエンマの顔から表情が消え、ビジネスモードに切り替わる。
「先ほど、霊界に氷女の魂があがってきた」
氷女という言葉に飛影がわずかに眉根を寄せた。
「彼女は氷河から人間界に連れ去られ、山荘の一室に監禁されていたが、捕らえた人間がいつからか姿を見せなくなった……おそらく死んだのだろうな。そのため、彼女を閉じこめた牢を開く者がなく、自力で脱出することもできず、ずいぶんと長いこと監禁されっぱなしになっていたらしい」
コエンマの話の悲惨さに、幽助が顔をしかめる。
雪菜もずいぶんとひどいめにあったらしいが、それと同じような境遇にあった氷女が他にもいたとは。
「そしてある日、牢に妖怪が入ってきた。たまたま通りすがりに、氷女を発見したそいつは、彼女の意志を無視して、肉体関係を結んだ」
「……それって……」
幽助はつぶやくと、横に立つ飛影を見上げた。
魔界にいた時、氷女についての話を聞いたことがある。そして、飛影の生まれについても。
その記憶と、この推測が確かならば……。
「なるほど」
話は終わっていないが、その内容を察した飛影がうなずく。
「おれに聞かせたくないわけだ」
それだけつぶやいて、飛影は無表情にコエンマをみつめた。
表面上は平静を装っているが、苛立った気配が隠しようもなく漂ってきて、幽助としても気が落ち着かない。
「その結果、子供を産んで死んだ氷女の魂は、しばらく人間界にとどまっていた。どうやら、子供のことが心配で離れられなかったらしい。しかし、十日ほど経って、ようやくみずから霊界にあがり、自分の子供の保護を願い出た。何もわからずに人間を傷つけてしまい、霊界に追われる身となる前に、霊界で保護し、罪を犯すことのないように取りはからって欲しい、と」
「罪を犯すことのないように? 笑わせるな」
話を黙って聞き続けるだけの、余裕がついになくなってしまったらしい飛影が、コエンマにかみついた。
「忌み子は生まれたこと、それ自体が罪だ」
「飛影」
「氷河で生まれなくとも、忌み子は忌み子だ。現にそいつは、すでに母殺しの罪を背負っている」
「それは子供の意志ではない」
「意志があろうとなかろうと、やったことは同じだ。保護などとあまいことをぬかしてないで、さっさと殺してやれ。その方がそいつのためだ。女も、子が腹の中でおとなしくしているうちに、さっさと自害すればよかったんだ。母親はどちらにせよ死ぬんだ。災いを産み落とす大罪を犯す前に、自分でけりをつけるべきだったんだ。どうせ、好きでもなんでもない男の子供だろう。殺すに何をためらうことがある」
「飛影! それでも彼女にとっては」
「だーっ! うるせぇ!」
飛影とコエンマの応酬に、幽助がたまりかねてわめきだす。
「うるせぇんだよ、おめぇら! おれをのけもんにして、むずかしい話してんじゃねぇ!」
「…………」
「……すまない」
飛影は無言だが、コエンマは素直にわびを入れた。
「とにかく、話はわかった。そいつのだいたいの居場所はわかってんだろ?」
わめいたところで、少しすっきりした幽助が、コエンマに尋ねる。
「ああ、Nスキー場近くの山林をうろついているらしい」
「じゃあ、そこに行って、そのガキとっつかまえて、霊界に引き渡しゃいいんだな?」
コエンマと飛影の衝突を止めたい幽助が、口早に確認をする。
「そうだ」
「わかった。この件、おれが引き受けた。それでいいんだな、コエンマ」
幽助の念押しに、コエンマがしっかりとうなずいた。
「ああ。手間をかけてすまないが頼む」
「まかしとけ」
幽助が答えると同時に通信が切れる。
アタッシュケースを再び押し入れの奥にしまい込んだ幽助は、ぼりぼりと頭をかくと、飛影の方に顔を向けた。
飛影は黙って、幽助をみつめている。
何か言いたければ言ってみろと、言いたげな瞳だった。
「なぁに、むきになってんだよ」
「……そうだな」
あきれ気味の幽助の言葉を、飛影が素直に肯定する。
あからさまに激昂してしまった自分を、さすがに気恥ずかしく思っているようだ。
「なんであんなこと言うんだよ。てめぇが痛ぇ思いするだけじゃねぇか……」
「おれが痛い思いをしているなどと、勝手に決めつけるな」
「だけどよ……」
なぜだか急に、胸が痛くなってきて、幽助が顔をゆがめる。
飛影がどのような生まれであるか、氷河の忌み子がどういうものであるか、幽助は知識として知っている。
だが、飛影がどのような思いで、どのような光景をみつめ、生きてきたのかはわからない。
それはあたりまえのことなのに……自分の無力さを責めたくなる。
座り込んだままで、自分をみつめる幽助にむかって、飛影がふいに小さく笑った。
「情けないツラをするな」
不思議なほどやさしい口調で、飛影が語りかけてくれる。
幽助は立ち上がり、飛影を見下ろした。
飛影はひどく落ち着いた目で、幽助を見上げている。
その視線を避けるように、幽助は飛影に背を向け、出かけるための着替えを始めた。
それは、気持ちを落ち着けるための時間稼ぎでもあったのだが。
「行くのか?」
さきほどの興奮は跡形もなく消え去り、飛影の声は穏やかだ。
その静けさに、幽助はかすかな不安をおぼえる。
「おめぇも行くか?」
支度を終えた幽助が、振り返り、問いかける。
正直なところ、どうしていいのかわからない。
幽助には、飛影が忌み子という言葉に対して抱いている想いの重さと複雑さがわからない。
コエンマが考えたように、飛影を忌み子と呼ばれる子供に会わせてはいけないのかもしれない。
それは、飛影の心の内にある見えない傷をえぐり、さらけだす行為かもしれない。
それでも、飛影がそれを望むのならそうするべきだと、幽助は感じていた。
「ああ。どうせヒマだしな。文句はないだろう?」
「つきあうのはかまわねぇけど、これはおれが請け負った仕事だ。手出しすんなよ」
「……いいだろう」
そうして二人は山に向かった。
氷河の国に似た、雪の降り積もる場所へ。
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